メッセージ:2017年7月〜9月  

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NHK「ラジオ深夜便〜明日へのことば」
(2017/9/27朝放送)
に出演して〜”オペラこそ私の人生”
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。新国立劇場『神々の黄昏』がいよいよ明日、初日を迎えます。オペラパレスのピットで、皆様のお越しを心よりお待ちしております。
先日、リハーサル大詰めの9/27早朝、NHK「ラジオ深夜便」の「明日へのことば」というコーナーに、「オペラこそ私の人生」(聞き手:村島章恵ディレクター)というタイトルで出演いたしました。10/4の18時まで“聴き逃しサービス”でお聴きいただくことができるようですが、その機会のない方もいらっしゃると思います。 約40分の長丁場のインタビューで、色々なお話をした中から、ごく一部ではございますが、ホームページをご覧くださる皆様にもかいつまんでご紹介いたします。

NHK「ラジオ深夜便〜明日へのことば」(2017/9/27朝放送)より
”オペラこそ私の人生”
(聞き手:村島章恵ディレクター)

幼少の頃の家庭の雰囲気

――私の父は裁判官でしたがとてもクラシック好きで、仕事から帰ってくると応接間の窓を開けて、よくピアノを静かに弾いていました。ピアノはまったく独学で、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの、「月光」などをゆっくりゆっくり・・私はまだ3〜4歳の小さな子供でしたが、すごく印象に残っています。
私は四人兄弟の末っ子で、兄も姉もピアノやヴァイオリンを習っていて、いつも音楽のある家庭でした。
それから、母方の祖母は日本舞踊の林流の家元で、私も子供の時から国立劇場の楽屋によく行きました。楽屋の雰囲気や、邦楽の響きなどになじんでいて、その華やかな雰囲気やおしろいのにおいなどに惹かれていました。
今から思えば、オペラと共通点がある世界に子供の頃から親しんでいたのですね。

音楽大学に進んだ動機

―― 桐朋学園の「子供のための音楽教室」に通ってピアノのレッスンを受けるようになったのですが、練習するよりも、昆虫採集、鉱石ラジオや天体望遠鏡を自分で作ったりして、遊ぶ方が先でレッスンをさぼったりする時期もありました。普通高校に進もうとも考えたのですが、すでにいわゆる受験戦争が始まっていて、友人たちは塾に通って必死に勉強していて、それも私はかなわないなぁ、と。どちらにしろ競争を避けられないのなら好きな音楽の道に進もう、と桐朋のピアノ科に入学しました。
最終的には、音楽が好きだった、ということが決め手だったのでしょう。

国際指揮者コンクールに出場

―― 留学してコンクールに出るより前に、まだ東京にいた頃にオペラとの出会いがありました。
名テノールの藤原義江さんが主宰されていた藤原歌劇団で、まだ学生だったのですがピアニストをしていたことがきっかけで、藤原先生に認められ、プッチーニの『修道女アンジェリカ』という小さいオペラで指揮者としてデビューしました。
そして労音の公演で『椿姫』を51回も指揮して全国をまわる体験に恵まれて、指揮者として大事なのはやはりオペラだ、ということにハッキリ気が付いたのです。オペラの育った国、つまりヨーロッパで、実際にオペラハウスで仕事をしたい、と思い始めました。

ただ、若いうちはできるだけいろいろな価値観に触れたい、と考えていました。ロンドン、パリ、ローマ、ウィーン…といった街にいきなり行って視野を限定されないよう、すぐヨーロッパには渡らず、最初は全体的な視野をもちたい、と人種のるつぼであるニューヨークに留学しました。
留学当時はとにかくお金がなかったので、実は賞金が目当てで、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに出場したら、4位に入賞しました。そこに偶然、リヒャルト・ワーグナーの孫のフリーデリンド・ワーグナーが、若い才能を求めて来ていました。彼女が、コンクールでの私を評価してくださり、彼女の主宰するバイロイト音楽祭のマスタークラスに誘われてドイツに行くことになったのです。

バイロイトのマスタークラス

――私が学んだバイロイトのマスタークラスを主宰していたフリーデリンド・ワーグナーは、ヴィーラント・ワーグナーの妹でした。このマスタークラスは、もともとはリヒャルト・ワーグナー本人と妻のコジマの基本構想によるものです。1960年代のバイロイト音楽祭の総監督だったヴィーラント・ワーグナーは、マスタークラスの学生はリハーサルを見たいだけ見学してよい、とオープンにしていました。なかなか今ではそういうことはないですね。そして、実際のリハーサルを見ることがオペラの全体を学ぶ上でどれほど素晴らしい経験になるか、実際に観てみてわかりました。

バイロイトでの仕事内容と得たものは?

―― バイロイトで得たものは…無限です。
バイロイト音楽祭は練習期間が非常に長く、歌手は入れ替わり立ち替わり6月の頭くらいから、オーケストラは7月からです。本番を振る指揮者が来るのはオーケストラの練習の直前くらいで、それまでの歌手の音楽稽古、立ち稽古はすべてアシスタントに任されます。音楽をほとんど全部作り上げておくようなかたちになります。稽古で欠けている歌手がいれば代わりにガラガラ声でも構わないので歌いながら、ピアノを弾いたり指揮したり。歌詞はもちろん、歌えて弾けて棒が振れる、ということが完全にできなければならないのです。こうして音楽の基礎を作って、本番指揮者が来たら通し稽古ができるまで仕上げておくのです。
バイロイト音楽祭の朝昼晩、まさにワーグナー漬けで、最初1週間くらいそれをやっていたら高熱を出してしまいましたね。ただ3日間寝込んだらワーグナーの免疫(笑)がついて、大丈夫になりました。

ワーグナー音楽世界の魅力  

――私がかつて取り憑かれたように高熱が出たのも、ワーグナーの魅力と同時に毒ともいえるのですね。
ワーグナーは、作曲家であるだけでなく、すべての作品の台本を自分で書いています。そのような作曲家は稀です。さらにキャストを選び、自作の上演にふさわしい環境を求めて専用の劇場まで建ててしまいました。一人の人間に、とてもそんな時間がないはずなのですが、彼にはそれが実現できたのです。
ワーグナーは、音楽のもつ機能的な力を最大限に使いこなし、極端にいえば人の心を操作する表現に到達しています。それだけに、ワーグナーに心酔する人たちと、拒否反応を示す反ワーグナー派がつねに存在するのも、無理からぬことです。ワーグナーは生前から、敵が多かったのです。
しかし、たしかなことは、ワーグナーの残した作品に、いつの時代にも通じる驚くべき有機性と普遍性、説得力がある、ということです。

ワーグナーを中心にオペラ指揮者という人生を送ってきて良かったと思うことは?

―― そうですね…。やはり、オペラというのは思い切ったこと、どんなことが表現されていても、それが芸術であるということです。犯罪であろうと、愛であろうと、自分では実行できないようなことを、舞台では芸術の名のもとに堂々と行えるところにオペラの醍醐味があるのです。
指揮者としての私は、華やかなキャリアを追うよりも、本当に納得のゆく充実した活動をしていくのが自分の務めであると思っていました。あまり目立ちすぎないところで好きな仕事に力を注いできたので、このような年齢になって急に、新国立劇場の芸術監督というような大役を仰せつかるとは、全く予想していなかったことです。
でも、2014年の任期最初の『パルジファル』で、ドイツの宝ともいえるハリー・クプファー氏が演出を引き受けてくれたこと、そして、この宗教的で難解な作品が日本の聴衆に熱狂的な反応で受け入れられたことに、励まされました。クプファー氏も私の音楽を理解してくださって、彼の演出と素晴らしい装置が圧倒的な説得力で迫ってくる舞台と一体となって、ピットで上を見て指揮していた瞬間にふと、このような瞬間のために自分は人生を賭けてきたのだ、と確信いたしました。
つまり、日本におけるクラシック音楽は、交響曲に代表される、いわゆるシンフォニックな音楽が先行して受け入れられてきた歴史があるのですね。でも、オペラの中には人生のまさに全部が入っています。ヨーロッパにはそのようなオペラの歴史がまずあって、そのあとで序曲などからシンフォニックな音楽が発展してきたのです。 今、日本でもプロ・オーケストラが競ってオペラを演奏する、という機運が高まっています。もっともっと日常の中にオペラを浸透させていくことが大事で、このことにさらに力を尽くそう、と心に誓っております。

オペラを楽しむには

――華やかな劇場の雰囲気を感じていただくことが、オペラを楽しむきっかけになるかもしれません。そして、未知の作品、未知の作曲家の新しい作品にも、ぜひ好奇心をもって体験していただきたいと思います。だまされたと思って一度来てくださって劇場の醍醐味を味わえば、絶対とりこになるに違いないのです。名曲の中には素晴らしい価値がたくさん隠されています。音楽の道に終わりはないのです。肉体は衰えても、瑞々しい感受性を失わず、情熱を抱き続けていれば、心はいつまでも新鮮でいられる、と思っています。

芸術監督の任期はあと1シーズン。今後やりたいことは?

―― やはり、今まで自分が歩んできた、ベートーヴェンを始めとするドイツ・ロマン派の道、これも終わりがないので、さらに深く掘り下げていきたいと思います。たとえば『英雄』や『第九』を始めとして、何度指揮しても、そのたびに楽譜が新しく見える、新しい発見があるのですね。最近、楽譜を読むのに時間がかかって、年のせいかと思いましたが、色々なことを知れば知るほど、時間がかかるんですね。ですから、私が50年前に演奏した『運命』と、いまの『運命』では解釈もだいぶ違いますし、前よりもっと深くありたい、と常に思っています。
それから、新たな挑戦としては、昔からとても魅力を感じているのが民族楽派の作曲家です。チェコのドヴォルジャーク、フィンランドのシベリウス、ロシアのムソルグスキー、それからショスタコーヴィチなど、もちろん今までも演奏していますが、これらのレパートリーにもっと深く入りたいと思っています。
こういうことをやっていると元気になります。作曲家からエネルギーをもらう、ということです。そしてお客様にそれを伝える、その伝わったときの嬉しさは、やはり特別な喜びなのです。

 

飯守泰次郎

 

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読売日本交響楽団 第604回名曲シリーズ(2017/7/7)によせて
−飯守泰次郎−

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ネルソン・フレイレ氏と
ネルソン・フレイレ氏と

飯守泰次郎です。7月7日の読売日本交響楽団の名曲シリーズに向けて、連日リハーサル中です。

コンサートの前半はブラームスのピアノ協奏曲第2番で、ピアノ独奏にはネルソン・フレイレ氏をお迎えします。
後半は、ワーグナーの『パルジファル』から第1幕への前奏曲と「聖金曜日の音楽」、『ワルキューレ』から「ワルキューレの騎行」、そして歌劇『タンホイザー』序曲、というプログラムです。

協奏曲第2番は、ブラームス後期の円熟した作品で、協奏曲というよりほぼ交響曲と同様のスケールの大きさと内容を持っています。

フレイレ氏は、もはや申し上げるまでもない大変素晴らしいピアニストで、確固たる自身の音楽性がありながら、この上なく自由です。 70歳を過ぎているそうですが、非常に楽々とこの難曲を弾いていることに驚きます。

この作品は、ともすればメカニックな技巧やパワーを誇示するように演奏されがちですが、彼の音楽はフレーズの流れが雄大で幅が広く、コンチェルトというよりソリストとオーケストラが (ドイツ語でいうところの) zusammenspielen、つまりいつも大きなアンサンブルをしているような感覚です。表現が極めて豊かで、ブラームス後期ならではの音の重厚さはもちろんのこと、音色に気品があり、ただ感動するばかりです。
第3楽章では、読響のソロ・チェロ奏者である遠藤真理さんの美しいソロも、お聴きいただきたいと思います。

読響は非常に高い力量を持つオーケストラで、今回のこの重々しいプログラムを、リハーサルの初日から見事に弾きこなし、しかも余裕があり落ち着いています。各セクションが非常によくまとまっていて、大変立派な音を出してくれて嬉しく思います。 読響とはこの秋、新国立劇場『神々の黄昏』のピットでも共演するので、大変楽しみになってきました。

ワーグナーは、今回のような管弦楽だけのコンサートであっても、立派に美しく演奏するだけでは表現として十分ではありません。『パルジファル』でいえば”聖なる槍”、”信仰”、”罪の苦しみ”などのライトモティーフ (示導動機) を、単なる楽曲上のテーマを超えたひとつの理念として提示する、という意志が求められるのです。そういう意味では、後期ロマン派ではありますが非常にモダンな要素を持った音楽なのです。宗教性あるいは自然の美しさを表現するために、強さや重さよりも透明感や優しさが求められる部分も少なくありません。
こうした音楽の内容についても、読響は好奇心旺盛で、リハーサルを重ねるごとにさらに表現も深まってきています。

明日は、東京芸術劇場で、皆様のお越しをお待ちしております。

 

飯守泰次郎

 
 
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