メッセージ:2012年1月〜3月  

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東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」を振り返って

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。しばらくごぶさたしてしまい、申し訳ありません。おかげさまで、先月3月16日の東京シティ・フィル第257回定期演奏会「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」(全4回)最終回は、全席完売となり、大変ご好評いただくことができました。

シリーズ最終回の3/16のコンサートは、まさに聴衆と私たち演奏家との相互作用によってあのような素晴らしい成功を収めることができた、と私は思います。超満員の聴衆があれだけ熱狂的に反応してくだされば、演奏そのものがその場で成長し、音楽が成熟度を増すのです。熱い聴衆の反応との相互作用で、リハーサルの段階ではどうしても到達できなかった表現に、コンサートの現場で初めて到達できたのかもしれません。そうだとしたら、それは聴衆の力によって私たちが支えられたからだと思います。

東京シティ・フィル・コーアの打ち上げにて〜合唱指揮の藤丸崇浩さんと
東京シティ・フィル・コーアの打ち上げにて〜
「1812年」を素晴らしい合唱で支えてくださった
合唱指揮の藤丸崇浩さんと

序曲「1812年」は、一般的には、安っぽくて単に派手なだけの曲と思われている面があります。しかし、 たしかに派手ではありますが、その音楽の中身には、いつも災害や戦争、そして暴力にさらされている人間社会のはかなさ、恐怖、そして祈りというものが込められているのです。チャイコフスキーは、彼の生きたロシアの悲劇を、彼独特の表現で作曲したのです。今回のシリーズで私たちは、彼の創造の根底深くまで足を踏み入れることができたように感じています。

第二次世界大戦以降も、結局、人類全体が各地の戦乱、災害といった恐怖にさらされていることは変わっていません。しかし人間は、いつもそれらの恐怖と闘い、祈り、克服していく……それこそが、チャイコフスキーのメッセージではないか、と私は思います。

聴衆の皆様、そして応援し支えて下さるすべての皆様に、改めて深く御礼を申し上げます。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第257回定期演奏会
〜チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回(3/16)〜に向けて
その4:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 について

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。いよいよ明日3/16、チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回の本番を迎えます。
交響曲第2番「小ロシア」、「1812年」に続いて、きょうは「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」についてお伝えしたいと思います。

この協奏曲については、もはや何の説明も要らない、とさえ言えます。古今のヴァイオリン協奏曲の中でも、最も愛されている作品の筆頭にあげられます。
独奏ヴァイオリンには非常に華やかな超絶技巧が凝らされ、コンクール、オーディション、試験などでも必ず課題曲になる作品です。

しかし同時にこの曲は、特にロシア的な音楽です。今回のシリーズで私たちは、この作品についてもやはり、単に派手なヴァイオリンのヴィルトゥオジティ(名人芸)を前面に押し出した演奏ではなく、その中に流れるロシア人の心に改めて耳を傾け、内容を深く掘り下げて演奏したいと思います。

第1楽章のメロディ、ロシア的なハーモニーの移り変わり。第2楽章の叙情性と孤独感。そして、ロシアの伝統のコサックの踊りを思わせる第3楽章は特に、非常な超絶技巧が求められています。ロシアはバレエが大きく発展した歴史を持っている国であり、チャイコフスキーのバレエ音楽は今でも世界中で人気があります。つまり、このヴァイオリン協奏曲の3つの楽章の組み合わせに、チャイコフスキーのすべてが表れているといえるのです。

楽屋でサインをしているところ
楽屋でサインをしているところ(トランペットの平木仁さん撮影)

渡辺玲子さんとは、これまでも何度もご一緒していて、今回も本当に楽しみです。彼女ならきっと、この曲の真の内容を新鮮に表現してくださると思います。 それでは明日、東京オペラシティで皆様のお越しをお待ちしております。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第257回定期演奏会
〜チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回(3/16)〜に向けて
その
3:祝典序曲「1812年」について
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。連日、チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回(3/16)のリハーサル中です。

ロシアの悲劇的な歴史と苛酷な自然は、ドストエフスキー、トルストイ、ゴーゴリなど、ロシア文学には非常に色濃く表れています。ところが、ことチャイコフスキーの音楽となると、とても人気があり演奏頻度も高い一方で、あまりに表面的に理解されて安易に演奏される傾向があります。繰り返しになりますが、今回のシリーズで私たちは、いわゆる名曲としてチャイコフスキーの作品を演奏するよりも、本当の彼の音楽の価値に迫ることを目指しています。

これまでの3回を通じて、彼の音楽にいかに深い内容があるか、改めて実感しております。今回も、ロシアの歴史と自然に結び付いた内容を持つ音楽として皆様に深い感動をお伝えすることができれば、と願って、連日努力しているところです。

きょうは、プログラムの最後に演奏する祝典序曲「1812年」についてお伝えします。
この曲もまた、あまりに有名な作品です。大砲や鐘が鳴り響く派手な音楽として、必ず聴衆にも喜ばれます。言いかえれば、チャイコフスキーの中でも最も安易に成功を得られる作品です。しかし私たちは、この音楽のもっと深いところをさぐりたいのです。

ご存知のとおりこの作品は、1812年にナポレオンがロシアに侵攻し、ロシアが敗北する直前に冬が来て、苛酷な気候とロシア人の必死の努力により勝利した、という歴史的事実が題材です。私たちにとっては遠い歴史上のできごとのように感じられます。しかし、その実際の戦いがいかに激しく怖ろしいものであったか、そのとき何が起き、どれだけの犠牲が払われたか、チャイコフスキーの音楽の中に克明に描かれているのです。

東京シティ・フィル・コーアも加わってリハーサル
東京シティ・フィル・コーアも加わってリハーサル

美しい故郷、自然、人々の命……すべてが破壊され滅ぼされる恐怖が、この曲に表現されています。中間の部分に大変美しいメロディがありますが、これが叙情的なロマンティックな音楽、というのは我々がいわば勝手に決めつけてきたことです。そうではなく、ここでは、愛する故郷の自然、住み慣れた家、家族の命、健康……最も大切な、絶対に失いたくないものが描かれているのです。ここにどれだけの魂が込められていることでしょう。

チャイコフスキーによってこの作品で表現されていることは、いまの私たちと非常によく似た状況なのです。もちろん戦争と自然災害という違いはありますが、大切な故郷と人々の住まい、命と健康が破壊され失われることの恐ろしさは、いま私たち自身が経験していることと重なるのです。

バランスにも工夫が必要
コーラス、オーケストラ、大砲、鐘、バンダ
……バランスにも工夫が必要

今回は、東京シティ・フィル・コーアによる合唱付きで演奏します。冒頭、通常はヴィオラとチェロで演奏されるギリシャ正教の聖歌「神よ、あなたの民を救い給え」を、ロシア語の歌詞による合唱でお送りします。これも、すべてが失われる絶望の中で神に祈って歌われるのです。

何度か、フランスの「ラ・マルセイエーズ」の旋律が断片的に響きますが、これも敵であるフランス軍を表しているのであって、決してただ美しく演奏すべきではないのです。

最後に再び聖歌が戻り、大砲や鐘が鳴り響いて曲を閉じますが、決して安っぽい勝利ではなく大きな悲しみと犠牲の上の勝利なのです。どうか、私たちが現実に経験していることと重ね合わせて、お聴きいただければと思います。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第257回定期演奏会
〜チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回(3/16)〜に向けて
その2:
交響曲第2番「小ロシア」について
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。いよいよ、チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回のリハーサルが始まりました。
シリーズ最終回のプログラムは、まず交響曲第2番ハ短調「小ロシア」、ヴァイオリン協奏曲ニ長調ではソリストに渡辺玲子さんをお迎えし、最後に祝典序曲「1812年」を東京シティ・フィル・コーアによる合唱付きでお届けします。

きょうは、交響曲第2番についてお伝えしたいと思います。
めったに演奏される機会のない交響曲で、たしかにチャイコフスキーの中では派手な作品ではありません。しかし中身をあけて見れば、ウクライナ滞在中に作曲されたために「小ロシア」という名前があるという以上に、これほどロシアの民謡が豊かに扱われている作品は他にないのではないかと思うほどです。ロシア人の心というものが、一番よく表現されている交響曲という気がします。

第1楽章はハ短調で、メランコリックで憂鬱な音楽で始まりますが、終楽章は喜びと勝利を思わせる劇的なハ長調で終わります。ハ短調からハ長調へ、というのはベートーヴェンの「運命」やブラームスの交響曲第1番と同じです。

しかし、ハ長調で勝利のうちに終わりながらも、すべての楽章を通して何と多くの「半音」が隠されていることでしょう。「全音」が健康的であるとすれば、「半音」、特にチャイコフスキーの半音は、痛み、悲しみ、あるいは恨みを感じさせます。まさに、ロシアの悲劇的な歴史が、この作品にもはっきりと聴き取れるのです。

ティアラこうとう(大会議室)でリハーサル
ティアラこうとう(大会議室)でリハーサル

この作品には、人間の深い内面が一貫して流れています。チャイコフスキーがどんなに深く祖国を思い、苛酷な歴史を自分自身のこととして感じていたか、交響曲第2番に最も表れているようにも思うのです。

皆様は、チャイコフスキーの最も有名な肖像写真をご覧になったことがあると思います。あの暗い表情からも、彼がペシミスト(悲観主義者)であったことがわかります。交響曲第2番も、あれほど劇的に立派にハ長調で終わりながらも、なにかペシミスティックなものが通底しているのです。この曲の深い内容を、皆様にお伝えできることを願っています。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第257回定期演奏会
〜チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ最終回(3/16)〜に向けて その1:
第3回(1/18、交響曲第1番「冬の日の幻想」/交響曲第6番「悲愴」)を振り返って
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。今週3/16の東京シティ・フィル第257回定期演奏会は、チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ(全4回)の最終回です。おかげさまで、このシリーズはこれまで大変ご好評いただいております。聴衆の皆様、批評家の方々、応援し支えて下さる数えきれない団体や企業の方々はじめ、オーケストラと事務局はもちろんのこと、多くの方にどんなに感謝しても足りません。ホームページをご覧くださっている皆様にも、改めて御礼を申し上げます。

このシリーズのしめくくりに向け、まず、前回1/18の第255回定期演奏会(シリーズ第3回)を改めて振り返ってみたいと思います。

チャイコフスキーの作品には、いわば誇張がきく要素があり、表現を派手にすれば演奏効果を上げることもできます。しかし、今回のシリーズで私たちは、ロシアの苛酷な自然と歴史と結びついているチャイコフスキーの音楽独特の本質に、改めて深く踏み込むことを重視しています。前回の第3回では、交響曲第1番「冬の日の幻想」と交響曲第6番「悲愴」というプログラムを演奏しました。聴衆の皆様の心のこもった反応から、私たちの意図するところが伝わったという実感を持ち、とても励まされました。

東京シティ・フィルとは長いお付き合いにもかかわらず、オーケストラの皆が今も新鮮さを失わず、昨年のマルケヴィチ版によるベートーヴェン・チクルスの時と同様、毎回、チャイコフスキーの音楽そのものに全身全霊でぶつかってくれることに、心から感謝しています。

プレトークのためにピアノを練習中1:ステージ・スタッフの出口尚さん
シリーズ第3回(1/18)公演開場1分前。
ステージ・スタッフの出口尚さんに心配をかけました

『悲愴』のような、世界中の大指揮者と著名オーケストラによる名演奏がひしめく作品を演奏するのは、たしかに怖いことです。
しかし私は、たとえば“カラヤンの『悲愴』”のように評価の固まった演奏を、一種のブランドのように盲信して聴く、ということは音楽において決して望ましいことではない、と思っています。

前回、私たちが演奏した『悲愴』も、「こういう『悲愴』もあるのではないか」ということを現在の世の中に問いかける、という意味合いであって、『悲愴』はこうでなければならない、というものではありません。ただ、音楽の内容は常に、作曲家の心に向かっていくべきである、ということこそが大切なのです。

ドイツ語で Meisterwerke という言葉がありますが、時代を経て残ってきた音楽は、いくら掘り下げても無限です。自分が作品にどこからどう入り込んでも、作品のほうから、何かが与えられるのです。

この2枚の写真は、コンサート前の恒例のプレトークの準備で、ピアノの練習をしているところです。先日の交響曲第1番「冬の日の幻想」も、ピアノで弾くのは特に大変な曲で、開場1分前になってもピアノにかじりついていました。ステージ・スタッフの皆さんには、いつもご心配をお掛けしているのです。

プレトークのためにピアノを練習中2:ステージ・マネージャーの佐藤昌樹さん
こちらは昨年10/13定期の「ドイツ・レクイエム」公演の開場直前。
ステージ・マネージャーの佐藤昌樹さんに見守られて

「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」の最終回は今週3月16日、交響曲第2番ハ短調「小ロシア」、ヴァイオリン協奏曲ニ長調ではソリストに渡辺玲子さんをお迎えし、祝典序曲「1812年」は東京シティ・フィル・コーアによる合唱付きで演奏します。コンサートの前には18時15分から、いつものようにピアノを弾きながらプレ・コンサート・トークもご用意して、皆様のお越しを心からお待ちしております。

飯守泰次郎

 

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新国立劇場オペラ研修所公演
「フィレンツェの悲劇」「スペインの時」(3/9、10、11) に向けて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。このたび、新国立劇場オペラ研修所の公演を初めて指揮します。1ヶ月以上前からリハーサルを重ねてきて、いよいよ今週9日に初日を迎えます。

出演歌手の方々は新国立劇場オペラ研修所の研修生で、ほとんどが20代ですが、その水準の高さに大変驚きました。彼らの集中力と、歌うことの喜びの大きさが非常に素晴らしいと思います。昨年度から就任されたオペラ研修所所長である木村俊光さんの意気込みも、ひしひしと感じております。

演目はツェムリンスキーの『フィレンツェの悲劇』と、ラヴェルの『スペインの時』という、同じ1幕物でありながら全く違うオペラの2本立てです。ツェムリンスキーはドイツ・オペラで、非常に生々しい悲劇です。一方、ラヴェルのほうは、フランス語の魅力を最大限に発揮した喜劇です。お客様にとっては非常に鮮やかなコントラストをなす素晴らしいプログラムですが、演奏する側にとっては、この全く異なる2演目を一夜に上演するのは容易なことではありません。

演出の三浦安浩さんは、非常に発想が豊かで、全く違う2つの作品の世界に、ある一種の共通点を見出します。オペラの舞台はそれぞれ、イタリアのフィレンツェ(フローレンス)と、スペインのトレドで、ヨーロッパの2つの全く異なる町における異なるできごとが題材となっていますが、両者に共通するのは“退廃”なのです。
この2つのオペラは、見事な対照をなしながら、退廃という点においては全く同様な内容を扱っているのです。

男女関係のあらゆる側面に関して、非常に読みの深い演出がなされており、次々にアイディアが出されて、とても面白いリハーサルが続いています。

新国立劇場でのオーケストラ稽古
新国立劇場でのオーケストラ稽古

この2本を上演するには、本来であれば国籍の異なる2つのオーケストラが必要とさえ思われるくらいですが、東京シティ・フィルは、ドイツ・オペラとフランス・オペラの2つの響きと音楽の解釈を見事に弾き分けてくれています。これは長年、矢崎彦太郎さんとフランス音楽に取り組み、私とドイツ音楽のレパートリーを積み重ねてきた成果を発揮できるという意味でも、非常に魅力のある公演になると思います。

本番は3公演ありますので、ぜひ新国立劇場中劇場で皆様のお越しをお待ちしています。

飯守泰次郎

 

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川西市文化会館
市民合唱とオーケストラ“歓喜の歌!「第九シンフォニー」”(2/26)によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日2/26は、兵庫県川西市で「第九」を指揮します。 川西市民合唱団とは、2009年に初めて共演し、その水準の高さに驚いた記憶があります。今年も、指導者の杉江康さんの統率がゆき届いていて、力強さと美しさを兼ね備えた良い第九の響きを保っておられることを改めて感じました。大変素晴らしい合唱団だと思います。
そして、第九という難曲に対して皆様が非常な集中力をもって取り組み、しかも喜びをもって歌う姿に、感動を覚えます。

ソリストは、ソプラノの並河寿美さん、アルトの田中友輝子さん、テノールの松本薫平さん、バリトンの片桐直樹さんで、今まで私も何度も共演してきている、非常に表現が豊かで、しかも安定している素晴らしい方々が揃っています。関西フィルも、この川西市民合唱団と毎年のように共演しています。

ホールの響きに合わせて合唱とオーケストラのバランスを取ることは、とても重要です。今日の最後のリハーサルでは、とても良い響きをつくることができました。

明日のコンサートがとても楽しみです。ぜひ、川西市文化会館へお越しをお待ちしております。

飯守泰次郎

 

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優れた劇場・音楽堂からの創造発信事業
三重県文化会館〜新日本フィルハーモニー交響楽団公演(2/11)に向けて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。明日2/11は、初めて三重県文化会館(津市)でコンサートを致します。新日本フィルハーモニー交響楽団とは毎年、何度かご一緒しています。今回この三重県での公演でもご一緒できることを嬉しく思います。

コンサートの前半と後半に分けて、ドイツ音楽とフランス音楽をお送りする、非常にユニークなプログラムを演奏します。

ラヴェルのピアノ協奏曲のソリストは、萩原麻未さんです。萩原さんは、一昨年のジュネーヴ国際コンクールで優勝され、注目を集めています。彼女の新鮮なエネルギーと輝きは、それはもう驚くばかりです。素晴らしいラヴェルになるに違いありません。

新日フィルとは、ブラームスの交響曲第1番をすでに何度も演奏しています。今回はきっと、いっそう深みを増した演奏ができるのではないかと期待しております。
コンサート冒頭の「牧神の午後への前奏曲」のフルートのソロは、白尾彰さんが吹いてくださいます。白尾さんのソロが大変素晴らしく、すべての方にぜひ聴いていただきたいという気持ちになります。

津市近郊の皆様、ぜひコンサートでお会いしましょう!

飯守泰次郎

 

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名古屋フィルハーモニー交響楽団との共演(2/4)
〜“音楽日和〜JAF会員のための音楽会”〜を終えて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。2月4日の土曜日は、久しぶりに名古屋フィルハーモニー交響楽団との共演で、“ドイツ音楽の神髄”と題し、ベートーヴェンとワーグナーで構成したプログラムを演奏しました。このコンサートは日本自動車連盟(JAF)の主催によるもので、JAF会員限定ということでしたが、愛知県芸術劇場のコンサートホールに大変多くのお客様がいらしてくださいました。

私が日本でワーグナー作品に取り組み始めた最初が、名古屋フィルでした。常任指揮者を務めたのは1993年から98年までで、もう十年以上経ちますが、今も折に触れてご一緒する機会があることを嬉しく思います。今回もオーケストラが非常に力のこもった素晴らしいワーグナーを演奏してくれて、私としても再会を改めて嬉しく思いました。これだけ時間が経ち、メンバーも半数以上入れ替わっているようですが、常任指揮者時代に共に築いたワーグナーの響きが今も生きていて、素晴らしい音を出してくれるオーケストラです。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番のソリストは、田部京子さんでした。田部さんとは、もうあちこちで何度も一緒に演奏しています。今回は、私の特に好きなこの第4番の協奏曲を演奏してくださって、非常に嬉しい共演でした。この曲というのは、本当に言葉ではとても言い尽くせない、ベートーヴェンの中でも特別に内面的で静的な魅力を発する音楽であると思います。田部さんは、本当に素晴らしい演奏をしてくださいました。

演奏会の終演後は、常任指揮者だった頃からずっと応援してくださっている名古屋のファンの方々と、久しぶりに交流することができました。来週の三重県津市でのコンサートにも来て下さる予定の方もいらして、長く応援し続けてくださることにとても感謝しております。

名古屋フィル常任時代からのファンの方々に囲まれて
名古屋フィル常任時代からのファンの方々に囲まれて

 

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第255回定期演奏会(1/18)
チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ第3回
〜交響曲第1番「冬の日の幻想」/交響曲第6番「悲愴」〜によせて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。1/18の東京シティ・フィル第255回定期演奏会は、「チャイコフスキー交響曲全曲シリーズ」(全4回)の3回目となります。
今回は交響曲第1番「冬の日の幻想」と第6番「悲愴」を組み合わせたプログラムです。

リハーサル風景

今、なぜチャイコフスキーなのか、ということについては、これまでレクチャーやYouTube、2回のコンサートにおけるプレトーク、そしてこのホームページでお伝えしてまいりました。

チャイコフスキーは非常に名曲が多く人気も高いだけに、頻繁に演奏されますが、彼の音楽の内容を深く追求しないでも演奏が成功してしまう一面もあるように思います。
今回のシリーズで私たちは、ロシアの歴史と苛酷な自然と一体をなしているチャイコフスキー独特の音楽の本質に、深く踏み込むことを目指しています。
幸い、これまでの2回で、お客様に私たちの目指すところが受け止められているという手ごたえを感じ、大変励まされております。

作曲家であれば誰にとっても―――ベートーヴェンもブラームスもシューマンも、ブルックナーも、そしてマーラーも―――、交響曲第1番というのは野心的な第一歩です。それが、チャイコフスキーの交響曲第1番は、ヴァイオリンのppのささやきに乗って木管楽器の冷たいメロディで始まります。第1楽章の最後もまたppで、木管のト短調のハーモニーで消え入るように終わります。このこと自体、チャイコフスキーのデリケートな創造性を感じさせます。

しかし一方でこの作品は、後期の第4番、5番、6番を思わせる非常に劇的でスケールの大きな構成を、すでに持っています。第1楽章も第3楽章も、凍りつくような苛酷な自然を、しかも美しく描写しています。第2楽章や第3楽章のトリオでは温かい人間性に満ちた主題が聴かれます。
熱狂的な終楽章は非常に多くの半音階が使われているのが特徴で、ここにも翳が入り込んでいます。単なるメランコリーではない“いたみ”という要素をはっきりと示しています。このような半音階は、第6番「悲愴」にも驚くほど多く使われているのです。

リハーサル風景

すでにこの交響曲第1番に、チャイコフスキーの一生の創造性が完全に芽生えていることを、私は強く感じます。
もちろん交響曲第4番、5番、6番は圧倒的なスケールの大きさを持っていますが、この第1番には、ロシア人にしか経験できないような極寒の自然描写があります。そしてすべての楽章に、悲劇が長く続いたロシアの歴史がはっきりと表現されているのです。

交響曲第6番「悲愴」は、私個人としても数多く演奏していて、非常によく理解している作品だと思っていたのですが、今回改めてこの曲を注意深く分析してみると、作曲家が表現しようとした内容の深さと切実さに、改めて驚嘆させられました。
いくつかの例を挙げてみましょう。

第1楽章の第2主題は、非常に叙情的であり美しいメロディとして演奏されます。しかし決してそれだけではなく、非常に多くの半音の使い方が隠されており、作曲者の心の中の深い痛みと、悲劇的な運命を負わされたことに対する訴えが感じられます。おそらく、彼の悲劇的な一生のすべてがここに凝縮されているのです。

第1楽章の激しい展開部は第1主題の強奏で始まり、突き進んで、ついにはTutti(全奏)とトロンボーンの掛け合いに到達します。このクライマックスの部分は、怖ろしい大惨事を目の当たりにしたときの信じがたい恐怖そのものです。これほどリアルな音楽があるでしょうか。ドキュメンタリーのような力で私の心を揺るがす音楽です。

第3楽章は、ロ長調とホ長調をおもな調性として、行進曲風に作曲されています。しかし実際の中身は、冷酷無比にすべてを蹂躙していく軍隊そのものです。しかも、破壊していくことに皮肉な喜びさえ感じ、もはや自らの力で行進を止めることができず突き進む、という軍隊の本質を、これほど明らかにした曲はないのではないかと思います。

この激しい第3楽章の後に残るのは、絶望、やり場のない訴え、そして怒りです。第4楽章では、ハ長調の下行形が長く激しく続きクライマックスに到達しますが、これはチャイコフスキーが到達した怒りではないかと思います。でも最終的には諦めで終わります。

この作品が諦めで終わることは、誰しも理解できることでしょう。今回改めてスコアに向き合い、私は、全曲の最後の諦めに至る前に、怖ろしいまでのチャイコフスキーの怒りが表現されている、という思いを強くしているのです。

飯守泰次郎

 

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ホームページをご覧の皆様へ
2012年を迎えて新年のご挨拶、そして
今年最初のコンサート〜名古屋二期会ニューイヤー(1/9)

−飯守泰次郎−

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厳寒の八ヶ岳で新年を迎える
厳寒の八ヶ岳で新年を迎える
 

新年のご挨拶が遅れてしまいましたが、皆様、新年をどのようにお迎えになられましたでしょうか。 私は、八ヶ岳の、風が強く寒い所で新年を迎え、身の引き締まる思いでした。
空気の清らかさと太陽の恵みの素晴らしさに、感動致しました。

オランダのタツノオトシゴ
オランダのタツノオトシゴ
米国の牧師ポール・ラッシュにより建設された清泉寮(清里高原)の辺りには、至るところに珍しい氷のリースが飾られ、厳寒の八ヶ岳ならではの風景で、深く印象に残りました。ご覧のとおり、太陽の陽射しの中でも溶けない本物の氷です。中の模様も本物の葉っぱや木の実で、とても愛らしいものです。

今年は辰年、私もとうとう、また年男になりました。このタツノオトシゴは、オランダのスケベニンゲンにある水族館で撮ったもので、年を取るのを忘れさせてくれる可愛い仲間だと思っております。そのような意味合いで、皆様への新年のご挨拶として、このタツノオトシゴの写真をお贈りします。

今年が皆様にとって素晴らしい年になりますよう、お祈り申し上げます。お祈り、といえば、私も年を取るにつれて、演奏というものは祈りに近いものである、という思いが年々強くなっている気が致します。今年も皆様とホールでお目にかかれますよう、願っております。

氷のリース
氷のリース

さて、今年最初のコンサートは、名古屋二期会のニューイヤー・オペラコンサート(1/9)を指揮致します。とても盛りだくさんの公演で、おそらく一般のニューイヤー・コンサートの2倍くらいの長さがあるのではないかと思います。イタリア・オペラ、ドイツ・オペラ、ドイツ・リート、日本のオペラ、アメリカのオペラ、と内容も多岐にわたります。

昨年来、東日本大震災、また世界中で大きな動乱や政治、経済の危機が起きていることも考え、通常のニューイヤーコンサートのように派手な序曲で幕を開けシャンパンで歌い踊る場面でしめくくるのではなく、美しい間奏曲や、最後にはバッハの「マタイ受難曲」の終わりの合唱を選曲致しました。しっとりとした、祈りに近い思いを込めております。

名古屋二期会との共演はもう10年近くに及びます。若い演奏家を集めた名古屋二期会オペラ管弦楽団も6年目を迎えており、この積極的なオーケストラに支えられて、熱が入った素晴らしいコンサートになることを期待しております。

 
飯守泰次郎

 
 
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