メッセージ:2010年4月〜6月  

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ
リハーサルだより(3
〜シリーズ第1回(5/31)交響曲第4番/第7番に向けて

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。今日も、東京シティ・フィルのベートーヴェン全交響曲シリーズ第1回(5/31)に向けたリハーサルについてお伝えします。

特に言及されることは少ないのですが、交響曲第4番には意外性のある転調がとても多くあります。この曲は変ロ長調ですが、遠い調性であるロ長調やニ長調が出てきたり、第2楽章は変ホ長調ですが途中で変ト長調になるなど、色調の変化が大変著しい、とマルケヴィチは特に指摘しています。

マルケヴィチ版における音の長さの指定
マルケヴィチ版における音の長さの指定

マルケヴィッチ版には、スタッカートなど音の長さの指定が4種類あります。これに指定なし、を含めるとベートーヴェンは5種類の音の長さを指定していたことになります。a la corda (on the string) というのは、往年のカラヤン=ベルリン・フィルや、最近ではアーノンクールが採用している奏法です。これらを丹念に考えていくことで、音楽の中の歌う要素がより前面に出せるように思います。
単純で軽快な音楽の中で、音の長短を丁寧に練習しながら、なおかつこうした色合いの変化を意識的に表現することに心を砕いています。単に弾けるというだけでなく、調性の色彩感を出すという意識をもっていることが必要なのです。

「フィデリオ」序曲については、マルケヴィチ版があるわけではないのですが、今回、全交響曲について読み込むことで、マルケヴィチ版のベートーヴェンに対する固有な考え方がよく分かってきましたので、ひとつの一貫した表現ができると思います。

リハーサルにもっと時間が欲しいと思うのが常ですが、それでも日を追うごとにキャラクターが表現できるようになってきている実感があります。東京シティ・フィルのメンバーが、好奇心と集中力をもって取り組んでくれることに、心から感謝しています。明日の本番が大変楽しみです。皆様のお越しをオペラシティでお待ちしております
 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ
リハーサルだより(2)
〜シリーズ第1回(5/31)交響曲第4番/第7番に向けて

−飯守泰次郎−

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東京シティ・フィル リハーサル風景

飯守泰次郎です。東京シティ・フィルのベートーヴェン全交響曲シリーズ第1回(5/31)に向け、連日リハーサルに集中しています。

演奏スタイルの問題は他の作曲家にもありますが、ベートーヴェンの交響曲に関してはその違いが非常に大きくなってきているのが現状です。

古楽器的アプローチに対し、一般にフルトヴェングラーがひとつの究極とされる伝統的な演奏スタイルは、ベートーヴェンがその人間性、哲学、音楽において改革者であった、ということに立脚しています。
ベートーヴェンは革命的な新しいエネルギーで音楽史の向きを変え、新しい時代を切り拓いた人物であり、彼には高い理想がありました。その後の楽器の改良の歴史を鑑みれば、当時の彼の表現には現在よりも制約が課されていたのです。

こうした考えにもとづき、往年の名指揮者ワインガルトナーは自著「ある指揮者の提言」で演奏上の提言を行いました。そしてクレンペラー、メンゲルベルク、トスカニーニ、ニキシュ、シューリヒト、エーリヒ・クライバーといった巨匠たちがこれを採り入れ、行き着いたのがフルトヴェングラーです。
こうした20世紀の巨匠の時代に対し、古楽器によるアプローチが台頭するのがおおむね1970年代後半でしょうか。 マルケヴィッチが活動した時期は、まさに演奏伝統の流れが2つに分かれていくそのときだったのです。

ベートーヴェン交響曲第4番 リハーサルの様子
ベートーヴェン交響曲第4番 リハーサルの様子

昨日は交響曲第4番を特に集中してリハーサルしました。
交響曲第7番は、喜びと光の調性といわれるイ長調で、リズミカル、祭典的、熱狂的な魅力があります。これに対し、変ロ長調の第4番は、より天真爛漫で軽快という特徴を表現するために、弦楽器の人数を減らしてコンパクトな編成で演奏します。

この作品は非常に様々細かい音型あるいはモチーフが交差して、色彩がどんどん変化していくところに特徴があります。ちょうど、ブリューゲルの絵の、細かいモチーフが数多く描きこまれて軽い喜びを感じさせる点と、この第4番の魅力は、どこか共通するものがあるような気がします。
たとえば第4番の第2楽章の第1主題そのものは息の長いメロディですが、その下でたえまなく細かいリズムが刻まれているのです。
モチーフによって、あるいは求める響きによって、きわめて注意深く音の長さ、短さのコントラストをつけるよう、リハーサルを重ねています。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル ベートーヴェン全交響曲シリーズ
リハーサルだより(1)
〜シリーズ第1回(5/31)交響曲第4番/第7番に向けて

−飯守泰次郎−

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東京シティ・フィル リハーサル風景

飯守泰次郎です。東京シティ・フィルのベートーヴェン全交響曲シリーズ第1回(5/31)に向けて、いよいよリハーサルが始まりました。

10年前に全交響曲を演奏したときは、ベーレンライター校訂新版を使用しました。小ぶりの編成、第1ヴァイオリンを左、第2バイオリンを右に置いたいわゆる対抗配置で、ノンヴィブラートを効果的に用い、速めのテンポ、といったアプローチはすなわち、作曲当時の状況を尊重する古楽器的な演奏スタイルといえるものだったと思います。
この新鮮かつ衝撃的な経験を財産として、その後10年かけてメンデルスゾーン、シューベルト、シューマン、ワーグナー、ブルックナー、マーラー、R.シュトラウス等を音楽史を追ってともに演奏を重ねました。

そして今、改めて、ベートーヴェンの交響曲に取り組むにあたり、彼の本質にはベーレンライター版を主とする古楽器的アプローチでしか到達できないのだろうか、と熟慮を重ねた結果、行き着いたのが今回のマルケヴィチ版です。

マルケヴィチはキエフに生まれ、スイスで育ち、パリで音楽を勉強し、指揮者としてのデビューはアムステルダム・コンセルトヘボウで、その後、欧米の主要なオーケストラを指揮してめざましい活躍をしました。

東京シティ・フィル リハーサル風景

その中で、各地のオーケストラで名指揮者の残した楽譜に接するうちに、その違いが次第に拡大していることに気付き、各巨匠の強烈な個性によりベートーヴェンの本質が歪められていくことに危機感を抱いたのです。

そして、ベルリン・フィル、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、シュターツカペレ・ドレスデン、コンセルトヘボウ、ラムルー管、パリ管、ウィーン・フィル、シンフォニー・オブ・ジ・エア、ロンドン響、フィルハーモニア管…等々、自分の指揮するオーケストラでライブラリアンから膨大な資料を集め、コンサートマスターたちと議論を重ね、国立図書館等々の厖大な歴史的資料を検討し、1つのベートーヴェン像を体系化したマルケヴィチ版を完成するという偉業を成し遂げたのです。

昨日からのリハーサルでも、交響曲第7番の特徴的な符点のリズムの音の長さがどうあるべきか、そのための弦楽器の弓使いはどうあるべきか、各声部を浮き立たせるためにどのような方法を採用するか、等々、マルケヴィチが示しているさまざまな演奏の可能性について、試行錯誤を重ねながら進めています。現代の実際の演奏空間の響き、演奏者のこれまでの経験や演奏本能、聴衆のふだん聞き慣れている表現などを考慮し、ベートーヴェンの本質にいっそう迫るべく、力を尽くします。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル創立35周年記念
ベートーヴェン交響曲全曲シリーズ 開幕にあたって
〜マルケヴィチ版の使用について

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。いよいよ5月31日、東京シティ・フィル創立35周年記念ベートーヴェン交響曲全曲シリーズの第1回を迎えます。このシリーズで「マルケヴィチ版」を使用するにあたり、コンサート当日のプログラムに寄せて以下の文章を執筆しましたので、ぜひお読みいただきたいと思います。

***

「マルケヴィチ版の使用について」
(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第239回定期演奏会〜2010/5/31開催公演プログラムに掲載)

私たちは2000年に、ベーレンライター校訂新版による日本初のベートーヴェン全交響曲ツィクルスおよび録音を行いました。 古楽器的な演奏スタイルによるこのときの経験は、私たちにとって新鮮かつ衝撃的であり、決して忘れることのできない財産となりました。 10年を経た今、音楽における聖書ともいえるベートーヴェンの交響曲と改めて取り組む決意に至り、その本質に迫るべく熟慮を重ねた結果、行き着いたのが今回のI.マルケヴィチ版です。

ベートーヴェンの演奏スタイルは現在、大きく2つの流れに分かれています。 作曲当時の状況に忠実であろうとする古楽器的スタイルに対し、200年の歴史を通して発展してきた伝統的な演奏スタイルは、 当時の楽器の性能等による制約に着目し、改革者としてのベートーヴェンの本質に立脚して、彼が本当に表現したかったことを汲んで実現しようとするものであり、マルケヴィチ版は後者にあたります。
名指揮者ワインガルトナーは自著で多くの演奏上の助言を述べ、 数々の指揮者たちがこれを採り入れました。 こうした重厚でいわばドイツ的な演奏傾向は、 フルトヴェングラーに至って極まります。 しかし、フルトヴェングラーの偉大な表現は彼の天才によるものであって、今ここでそれを採り入れることは私たちの目指すところではありません。

これら巨匠の時代は20世紀半ばまで続き、この頃にマルケヴィチが活動を始めます。

ロシアに生まれスイスに育ったマルケヴィチは、パリで音楽を学び、指揮者として 欧米各地で活躍しました。指揮する各地の名門オーケストラで巨匠たちの残した楽譜に接するうち、彼は、このまま放置すればベートーヴェンの音楽を正しく継承できなくなる、と危機感を抱きます。客観的で体系的な1つのベートーヴェン像をどうしても打ち立てなければ、という驚くべき責任感のもと、国立図書館等のあらゆる所蔵資料はもとより、各オーケストラのライブラリアンから厖大な資料を集め、コンサートマスターたちと議論を重ねました。 スタッカートの音の長さ、ダイナミクス、テンポ、フレージング、ボウイング、リピートなどの問題を、作曲の経緯および時代背景や楽器の改良の歴史も含め、ここまで徹底的に調べ上げた版は他にありません。その結果マルケヴィチ版は、演奏における実際と音楽理論の両面を踏まえ、良心的で客観的な判断にもとづき、有機的に9つの交響曲を完璧に体系化し完結させた、かつてない版となりました。

一般に一番多く指摘される問題として、ベートーヴェンが指定したテンポがかなり速いということがあります。 マルケヴィチは、ベートーヴェンが弟子のシントラーに対し、ホールの響き、演奏するオーケストラの国民性や演奏家のコンディション、その日の天気まで考慮してテンポを決めるべきだと述べた、と指摘しています。 もう1つ重要な点として彼は、耳が聞こえず外界から遮断されていたベートーヴェンが閉ざされた内面で想像していた音と、ホールの空間に実際に響く音との間に差異が生じたとしても不思議はない、ということにも言及しています。 さらに、厳しい精神の持ち主だったベートーヴェンが、技術的に不足な当時の演奏家への戒めとして速いテンポを記した可能性も、 マルケヴィチは指摘します。

いずれにしろ、ディジタル的にテンポを指定しても、ベートーヴェン独特の激しい気性、気品、優雅な温かさ、といった深みのある特徴は表現できない、としたうえでマルケヴィチは、 名指揮者たちのテンポも調べ上げ、妥当と思われる線を推奨しています。 音の長さについても、伝統的に1種類のスタッカートにまとめられてしまっていたものを4種類に区別するなど、1つひとつの音の長さを尊重し、その結果として音楽の歌う要素が大切にされていることも、この版の特徴です。

最も重要なのは、マルケヴィチ版は彼個人の主張ではない、ということです。 これだけ徹底的に究め尽くしながら、ベートーヴェンの音楽的発想を尊重し、最後にはやはり演奏家自身が決める、というある程度の自由さをもっていることが、この版の最大の魅力です。

マルケヴィチ版の持つ客観性は、いわばコスモポリタンである彼が、指揮者、作曲家として豊富なキャリアを持っていたことの賜物であり、それだけに、完成直後に急死してしまって実演を残せなかったことは大変残念です。 これまで個々の交響曲がこの版により演奏されてはいますが、全交響曲ツィクルスならびに録音は、今回が世界初となります。

偉大な芸術作品には、厖大な資料収集と徹底した研究、有機的で良心的な思索を重ねる努力がなされる限りにおいて、さまざまな角度から光を当てることができます。それにしても、憑かれたように1つの物事に打ち込んで究めるまでやり遂げる、その並外れた意思の力は、マルケヴィチとベートーヴェンの共通点であるように思われるのです。

 
飯守泰次郎

 

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2月/3月の公演を振り返って(5)
〜狛江エコルマホール フレッシュ名曲コンサート
  「ショパン生誕200年をたたえて」(3/27)

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。3月27日に、毎年のように私と東京シティ・フィルをお招きいただいている狛江エコルマホールでコンサートをしましたので、その様子をお伝えします。

プログラムは、ロマン派のショパンのピアノ協奏曲第2番を真中におき、ドイツロマン派のウェーバーの序曲「魔弾の射手」、そして古典派ではあるがロマン派の音楽に近い時代のベートーヴェンの交響曲第7番でした。

ピアノ独奏に迎えた北村朋幹さんは、18歳という若さでありながらあのようなショパンを演奏するということは、まさに驚きに値します。真の才能の輝きというのは、年齢には関係がなく音楽的内容と感動を聴衆に伝えるものだ、ということを、彼と一緒に演奏して改めてつくづく実感しました。

ベートーヴェンの交響曲第7番は「のだめ」の効果か、とてもポピュラーな曲になりました。ベーレンライター校訂版の楽譜を使用する場合には、ある程度の古楽器的な傾向にもとづく節度が必要となります。狛江のホールの規模と響きはこのような演奏がマッチすると考えて、ベーレンライター版で演奏しましたが、本番ではつい演奏に熱が入り(そのこと自体は良いことなのですが)、古楽器的な表現からは若干逸脱したかもしれません。

狛江市民だった時期が長い私は、エコルマホールに来るといつも親近感をおぼえます。そういう意味でも自然に熱が入り、お客様もよく反応してくださり、とても気持ちのよい演奏会でした。
 
飯守泰次郎

 

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2月/3月の公演を振り返って(4)
〜おおた芸術学校平成21年度成果発表会(3/22)

−飯守泰次郎−

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舞台いっぱいの生徒たち
舞台いっぱいの生徒たち

飯守泰次郎です。大変遅くなりましたが、3月22日に群馬県太田市新田文化会館エアリスホールで行われた、おおた芸術学校オーケストラ科の成果発表会についてお伝えします。

これは1年間の成果を発表する会で、オーケストラだけでなくチェロ・アンサンブルやヴァイオリン・アンサンブルなどもあります。生徒数が年々増え、ステージに載りきらないくらいになり、大変素晴らしいことだと思います。

生徒たちにメッセージを贈る
生徒たちにメッセージを贈る

おおた芸術学校では、1人1人の子の個性を尊重して無理な育て方をせず、楽しく演奏できるような教え方を大切にしています。
小学生から高校生まで、おそらく300人近い活動に成長していると思います。子どもだけであれだけ大きなオーケストラは、私も初めてでした。
太田市の教育理念の良い成果が出て、子どもたちが楽しそうに演奏しているので、私も心から楽しむことができました。

毎年開かれる「ぐんまアマチュアオーケストラ サマーフェスティバル」で私も10年ほど前から音楽監督を務め、毎夏を彼らと一緒に過ごしていますので、春の成果発表会でも必ず一言でも話をしています。自治体でここまでの規模で子どもだけのオーケストラが活動しているのは、世界でも稀なことではないでしょうか。
今年の夏の「ぐんまアマチュアオーケストラ サマーフェスティバル2010」では、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を指揮することになっています。今年も、今から楽しみにしているのです。

 
飯守泰次郎

 
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2月/3月の公演を振り返って(3
〜慶應義塾ワグネル・ソサイエティー・オーケストラ
  2010年欧州演奏旅行(3/5&8)

−飯守泰次郎−

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ブルノ市内で
ブルノ市内で

飯守泰次郎です。引き続き2〜3月の公演についてお伝えします。

3月前半は慶應義塾ワグネル・ソサイエティー・オーケストラの欧州演奏旅行で指揮をしました。

今回のワグネルの旅行は、2種類のプログラムで4つの公演をするというものでした。

私は、東京で指揮したワグネル第200回記念定期演奏会(2/14)と同じプログラムの2公演を指揮しました。
残る2公演は、以前に東京シティ・フィルの指揮研究員で今はアソシエイト・コンダクターを務める大河内雅彦君が指揮し、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」などの思い切ったプログラムを、デュッセルドルフとブダペストで演奏しました。

マーヘン歌劇場
マーヘン歌劇場

私が指揮をしたのはブルノ(チェコ)とウィーンの2つの都市です。ブルノはチェコの小さな都市で、マーヘン劇場という小さな会場で演奏しました。
一方、オーストリア最大の都市ウィーンでは、非常に著名なムジークフェラインザール(ウィーン楽友協会ホール)でした。

ワーグナーの「パルジファル」から第1幕への前奏曲/伊福部昭「交響譚詩」/マーラーの交響曲第5番という、非常に野心的なプログラムでしたが、ブルノでもウィーンでも、街の大小にかかわらず聴衆から非常に素晴らしい歓迎を受けることができました。

ワグネルのみなさんは、大学オーケストラだけに若さに溢れ、その勇気とエネルギーに私も驚嘆しました。
忙しいスケジュールの間を縫ってチェコのビールを味わい、ウィーンでも料理をはじめとして様々な魅力を堪能したようです。音楽だけでなく、その土地の空気を楽しむこともとても大切なことなのです。

ムジークフェラインザールで
ムジークフェラインザールで

それにしても、あのムジークフェラインザールの音響の素晴らしさには、改めて感激しました。学生のみなさんも、あのような大曲を演奏したこと以上に、あのホールで演奏した経験は一生忘れられないと思います。

指揮者室には、ベーゼンドルファーのピアノが置いてありました。何の気なしにちょっと弾いてみただけで、響きの美しさに魅了されました。指揮をしなければならないのに、24時間ピアノを弾いていたくなってしまうほど、素晴らしい音色でした。

ムジークフェラインザール指揮者楽屋
ムジークフェラインザール指揮者楽屋






大きめの部屋の高い天井によく響き、置かれている場所によほど合っているのでしょう。 自分の指が触ると、自分が思い描いたよりさらに良い音を楽器が返してくる、とでもいうのでしょうか。
素晴らしい演奏家との演奏活動というのは非常に創造的な相互作用が生まれるのですが、このピアノを弾くこともそのような体験でした。



ムジークフェラインザールでのリハーサル風景
ムジークフェラインザールでのリハーサル風景

全く同じことが、オーケストラとムジークフェラインザールの間にも起きました。

普通ならばコンサートホールはあくまでもハード(設備)であって、音響の良しあしという評価がされるはずなのですが、ムジークフェラインザールでは何かホールとの相互作用があり、出した音をホールがより良くして返してくれるのです。するとオーケストラももっと良くなる、という反応が感じられるのです。

演奏者に創造的な体験をさせてくれる、素晴らしいホールです。 相手であるピアノあるいはホールも「生きている」…そのように感じられた、とても幸福な体験でした。

大河内雅彦さんと
大河内雅彦君と

 
飯守泰次郎

 

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2月/3月の公演を振り返って(2
〜第15回「感動の第九」スウェーデン・ストックホルム演奏会(3/1)

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。ホームページでのご報告が遅れてしまいましたが、引き続き2〜3月の公演についてお伝えします。
3月の前半はヨーロッパにおりました。まずストックホルムでの「感動の第九」公演(3/1)についてご報告します。

この企画は、私も何度も指揮している「かがわ第九」の中西久米子さんをはじめとする実行委員会の皆さんが、大変なエネルギーをもって毎年実行していらっしゃるプロジェクトです。日本の各地から集まった合唱団が毎年違う国で「第九」を歌う、という非常に価値ある国際交流で、2007年のブダペスト公演には私も指揮者として参加し、大変素晴らしい演奏会でした。

今年のストックホルム公演の会場は、ノーベル賞の授与式に使われることで知られているコンサートフーセット大ホールでした。意外なことですが、ストックホルムで第九が演奏される機会はおそらくそれほど多くはないらしく、大変熱の入った演奏になり、聴衆も熱狂をもって迎えてくださいました。ホールの響きも良く、長旅の疲れも忘れるようなコンサートでした。

日本の合唱団が毎年異なる国を訪ね、世界の橋渡し役として「第九」を歌うということは、この作品の内容にも非常にかなったプロジェクトだと思います。それにしても、中西久米子さんはご高齢にもかかわらず、これだけのエネルギーをどうやって集めていらっしゃるのか、私は驚くほかありません。実行委員会のエネルギーと、このプロジェクトの素晴らしさを、今年も改めて再認識致した次第です。
 
飯守泰次郎

 

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新交響楽団第209回定期演奏会(4/18)によせて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。新交響楽団とのお付き合いは非常に長く、もう15年以上になります。その間、ありとあらゆるレパートリーを取り上げてきました。

私は、ドイツ音楽のご依頼を受ける機会が比較的多いのですが、新響とはドイツ物に限らずフランス音楽(最近ではラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲など)、近現代の作品(シェーンベルク「ペレアスとメリザンド」など)、そして邦人作品(矢代秋雄「交響曲」など)、等々、実にさまざまなレパートリーでお付き合いしております。

今回は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、シューベルトの「未完成」、そしてブルックナーの第9番という、非常に野心的な、少々欲張ったプログラムに挑戦します。これまでも新響とはブルックナーの交響曲第4番、第7番、第8番(1995年と2002年の2回)を共演してきました。

新響は非常に水準が高く、演奏する曲目にも常に工夫を凝らしている市民オーケストラで、今回の演奏会も大変楽しみにしています。

 
飯守泰次郎

 

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2月/3月の公演を振り返って(1)
〜関西フィル
第217回定期演奏会「復活」(2/19)

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。今年は、2月後半から大曲・難曲揃いのプログラムを指揮する演奏会が続いています。
まず、関西フィル創立40周年ということで思い切って取り上げた、マーラーの交響曲第2番「復活」(関西フィル第217回定期演奏会、2/19ザ・シンフォニーホール)についてご報告します。

「復活」は、マーラーの交響曲の中でも特に最大規模のオーケストラを必要とする作品であり、関西フィルのオリジナル編成だけではカバーできません。そこで、常日頃からお願いしている客演奏者の方々をはじめとして、いつも分かり合えて音楽的にもよく理解し合える、実力ある関西の数多くの音楽家たちが参加してくださって、通常のほぼ倍近くの巨大編成を実現することができました。
公演前に全席完売になるほど期待してくださった満員の聴衆の応援も、大変ありがたいことでした。

「復活」には、マーラーの哲学が非常に力強く前面に打ち出されています。
人間がこの世の中で何のために生きるか、という問題が、彼の作品の中でもこの曲で一番肯定的に前面に打ち出されているのです。冒頭はきわめて悲劇的に始まりますが、非常に肯定的に終曲を閉じます。

今回は、大阪の2人のソリスト、垣花洋子さんと福原寿美枝さん、毎年お付き合いしている大阪アカデミー合唱団、関西フィルのオペラのプログラムで必ずお世話になっている関西二期会合唱団、そして関西フィルだけではカバーできない巨大オーケストラ編成に一緒に参加してくださった関西の多くの音楽家たち、という方々に結集いただき、万全を期して臨みました。
その結果、ソリストも合唱団もオーケストラも、大変素晴らしい演奏をしてくださいました。お客様の反応も大変良く、演奏中は応援してくださる温かさが、そして全曲が終わったときには大きな感動が、舞台上に伝わってきました。

この演奏会で、これから先の将来に向かってさらに発展したい、という私たちの強い意志をお伝えできたと思います。それも、この「復活」という名曲そのものの力に負うところはやはり大きいでしょう。関西フィル創立30周年という節目に、このような演奏ができたことを、非常に嬉しく思います。
 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第21回ティアラこうとう定期演奏会(4/10)によせて
−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎です。2月後半からいろいろとスケジュールが重なり、ホームページでのご報告が遅れて申し訳ありません。この間の、心に残る数々の本番については、改めて振り返ってお伝えしたいと思います。

本日は、直前ぎりぎりになってしまいましたが、今年度の東京シティ・フィル ティアラこうとう定期の幕開けとなる第21回ティアラ定期演奏会(4/10)で演奏する、非常にユニークなプログラムについて一言お伝えします。

1曲目はモーツァルトの「ハフナー交響曲」です。モーツァルトの交響曲の中で、おそらく最も明るく快活で、エネルギーに満ちた作品のひとつといえるのではないかと思います。
この交響曲は、当時のザルツブルクの裕福な商人であったジークムント・ハフナーが爵位を得た際の祝宴のために作曲されました。モーツァルトはこの前にも、ハフナー家のために「ハフナー・セレナーデ」K.250を作曲しています。

第1楽章は、いきなり、2オクターヴの跳躍とともに爆発的なエネルギーで始まります。第2楽章は明るく平和な雰囲気で、第3楽章も2オクターヴの上昇を含む力強いメヌエットです。第4楽章はPrestoで、モーツァルトはこの楽章を「できるだけ速く演奏すべし」と言っています。 これほどスピード感と喜びに満ち、4つの楽章すべてが明るい交響曲は、モーツァルトには珍しいことです。

2曲目は、ハフナー交響曲とは正反対の雰囲気を持つ、黛敏郎「弦楽のためのエッセイ」を演奏します。
弦楽器だけで、いわゆるグリッサンドという音をずらす奏法を全曲にわたって使いながら、思いきった斬新な発想で作曲されています。まさにこれは、まぎれもなく日本人の作曲家による音楽である、と誰もが分かるサウンドであることは間違いありません。明らかに、日本の古くからの音楽である雅楽の響きを使っており、非常にシリアスで儀式的な雰囲気を感じさせる、個性的な曲です。
作曲当時、ヨーロッパでもさかんに演奏されて「非常に日本的である」と評価されたのもうなずけます。膝を正して聞くような、聴き手に強い印象を与える作品です。

そして、休憩のあとは再びモーツァルトの、最後の作品である「レクイエム」を演奏します。
この曲が、数多くのレクイエムの中でもとりわけ演奏される回数が多く、深い印象を与える名曲であることはもはや申し上げるまでもないことと思います。
ソリストには、優秀な若手の方々をお招きし、また最近非常に水準の高くなっているシティ・フィル・コーアとともに共演できることが大変楽しみです。

今回の選曲全体として、ティアラこうとうの美しい音響と適度な客席数によく合ったものであると思っております。コントラスト豊かなプログラムで、聴衆の皆様にも気に入っていただけることを願っております。
 
飯守泰次郎
 
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