メッセージ:2009年10月〜12月      

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クロチャン近況〜2009年の年の瀬によせて〜

−飯守泰次郎−

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クロチャン1「花束の中のはっぱを食べたい〜」
「花束の中のはっぱを食べたい〜」(思案中)

みなさんこんにちは、飯守泰次郎です。今年もホームページの締めくくりは、また猫馬鹿のお話で恐れ入ります。
久し振りにクロチャンの近況をお知らせします。

クロチャンはずいぶん年をとっているはずなのですが、元気でよく生きてくれています。

クロチャンを近くの墓地で保護してから、お蔭様で2度目の秋を迎えています。
保護する直前に撮った写真をみていると、よくここまで頑張って生きてきたと思わずにはいられません。

クロチャン2「食べられるかな〜」
「食べられるかな〜」

もとから人懐っこい猫ではありましたが、どうやら今まで1回も人間に抱かれたことがなかったらしく、保護した当初は抱いても抱かれ方を知らず脚がつっぱってしまったり、クローゼットの中に入って引きこもってばかりいたのが、今ではひざの上が大のお気に入りになり、私が椅子に座るや否や乗っかって来て、動けなくなってしまいます。

スコアを勉強中でもおかまいなし、立ったり座ったりしようとしても必死にしがみついていて、可愛いやら困ったやらです。

 


クロチャン3「はむ!!」でも歯が一本もないので、草が噛めない…化け猫風クロチャン?
「はむ!!」…でも歯が一本もないので、
草が噛めない…化け猫風クロチャン?

クロチャンは高齢猫で歯が1本もないので、硬いカリカリは食べられないものだと思っていたのですが、最近歯茎を使って器用に食べ始めたのには本当に驚きでした。

この歳で進歩し続けているクロチャン、私も負けていられません!

今年も、私とこのホームページを応援してくださいまして、どうもありがとうございました。

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

昨年のくろちゃん:保護直前
昨年のくろちゃん:保護直前(助けて〜という
悲痛な叫びがひしひしと伝わってくるようです)





コンサート以外はいつでも一緒です
コンサート以外はいつでも一緒です…!?

 

 

飯守泰次郎

 

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川西(11/29)と姫路(12/13)の第九を振り返って
−飯守泰次郎−

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2009姫路第九合唱団のリハーサル風景
2009姫路第九合唱団のリハーサル風景
(10/30の合唱練習初回)

飯守泰次郎です。今年は、年末の第九の本番が11/29に兵庫県川西市、12/6に和歌山県田辺市、12/12に関西フィル「第九特別演奏会」(ザ・シンフォニーホール)、12/13に姫路市、と、例年よりも早い時期に続きました。

このうち川西と姫路の演奏会について、まだホームページでご報告していなかったので、振り返ってお伝えしたいと思います。

川西市民合唱団とは初めてご一緒しました。見事な準備を重ねてきた約200人のみなさんの第九に、圧倒されました。合唱団のみなさんも私の音楽に深く傾倒してくださって、初めての共演でここまで素晴らしい第九ができるとは思いませんでした。川西市は大都市ではありませんが、みなさんと一緒に非常に良い音楽ができたと感じています。

姫路第九のみなさんから大きな紙の誕生ケーキを
姫路第九のみなさんから大きな紙の誕生ケーキを
(同10/30 のリハーサルにて)

姫路労音とのお付き合いはもう長年続いており、何度も姫路に行っているうちに私は姫路城がすっかり好きになってしまったほどです。

姫路労音とはオペラ(「カルメン」)を上演したこともあり、音楽的にお互いに分かり合えるだけでなく、より広い意味でもお互いのやりたいことが分かってきた実感があります。
特に第九は、やはり多くの本番を重ねてきているだけに、より深くベートーヴェンのメッセージを伝えられるようになってきた気がいたします。
みなさんが家族のような絆で結ばれているのが大変貴重であり、私も含めてみんなで取り組んだという充実感のある、素晴らしい第九ができたと思います。

 
飯守泰次郎

 

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おおた混声合唱団演奏会(12/20)によせて
飯守泰次郎

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飯守泰次郎です。毎年この時期には、群馬県太田市のおおた混声合唱団の演奏会を指揮しています。今年はモーツァルトの「レクイエム」とチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」です。

ドイツ語に zusammenarbeit という言葉がありますが、これまでのいわば“共同作業”が実って、合唱団の水準が上がってきていることをうれしく思います。
オーケストラも、おおた芸術学校の講師陣の方々を中心とするおおたアカデミー・オーケストラで、もう何年もご一緒しているので、お互いにとてもよく理解しあって素晴らしい演奏ができるようになってきています。今年のチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」は、大変熱のこもった演奏になりそうです。

この合唱団とモーツァルトの「レクイエム」を共演するのは2回目で、いっそう心のこもった、内容に深くふみこんだ演奏ができることと期待しています。

太田市は、芸術を愛する雰囲気がみなぎっているように感じられます。これは、清水市長が若い人たちの教育や芸術の浸透に力を入れておられる賜物であると思っております。
太田は大都市ではありませんが、おおた芸術学校のようなクリエイティヴで若い人たちのための機関が生き生きと活動している、音楽の息吹が通う町なのです。

飯守泰次郎

 

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関西フィル 第九特別演奏会(2009/12/12)
関西フィル「第九」および田辺第九合唱団との共演によせて
飯守泰次郎

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飯守泰次郎です。明日はザ・シンフォニーホールで関西フィルの「第九特別演奏会」を指揮します。

関西フィルは、年末の第九演奏会で長年にわたり田辺第九合唱団と共演しています。
毎年、合唱団の地元の紀伊田辺での演奏会とザ・シンフォニーホールでの演奏会、という2度ずつ演奏を重ねており、私がこの合唱団を指揮するのも今年で7回目になります。

田辺第九合唱団は、社会人の合唱団に毎年数十人の田辺高校合唱部が加わり、若々しいしなやかな声を保っています。創立当初から指導されている原盾二郎先生の厳しくも愛情のある訓練により、素晴らしい第九のサウンドを聴かせてくださいます。今年も84人の高校生を含め200人近い人数で、私も楽しみにしているのです。

今回の演奏会プログラムに掲載される私の文章を、ホームページをご覧になる皆様にお読みいただけるよう、以下に転載いたします。
それでは、明日の「第九」、1人でも多くの皆様にお目にかかれますことを願っております。

第九によせて
〜関西フィルハーモニー管弦楽団 第九特別演奏会(2009/12/12)公演プログラムより転載〜

年末に第九が数多く演奏されるのは、日本ならではの大変素晴らしい伝統だと私は思います。
いまこのときも世界のあちこちで戦争、民族や宗教をめぐる争い、あるいは自然破壊といった多くの危機が続いています。これらの困難に対する新しい解決策を求め、多くの方々がそれぞれの分野で、政治、経済、宗教、教育などあらゆる方面から必死で模索しています。

そのような中で、私たちのごく身近にあるこの第九という作品は、いまの世の中が必要としているものを非常に端的に、しかもますます切実に呼び掛けているのです。

本日は、コンサートのはじめに序曲『レオノーレ』第3番を演奏します。第九との組み合わせが特に優れている作品として、伝統的によく第九の前にとりあげられています。 ベートーヴェンの思想の深さを厳格に表現している作品であるところが、第九と通じるためでしょう。
短い演奏時間ながら、ベートーヴェンの精神性と力強いヒューマニズムが凝縮して表現され、非常に完成度が高い作品です。

冒頭、オーケストラの全奏による強い一撃から静かに音楽が下降し、瞑想と模索の両方を感じさせるような神秘的な流れで導入部が進んでいきます。そして、静かな確信をもってアレグロの主部に入り、導入部の瞑想と模索のテーマが確信を持って力強く現れます。正義のトランペットが鳴り響き、最後は熱狂的な確信と喜びの音楽で劇的に曲がしめくくられます。

この曲はもともと、ベートーヴェン唯一のオペラ『フィデリオ』の序曲として書かれました。
その後ベートーヴェンはこのオペラのために別の序曲を書きましたが、序曲『レオノーレ』第3番があまりに素晴らしいため、現在では第2幕のフィナーレの前に間奏として演奏されることが多くなっています。

さて、『第九』は、下へ叩きつけるような第1主題と、祈るような第2主題の対比が見事な第1楽章で始まります。
第1楽章が悲劇的に終わると、続く第2楽章は“スケルツォ”という本来ややおどけた音楽ですが、短調でくるくる回るような楽想が目まぐるしく展開されます。私には、享楽的で活気溢れていながらどこか空虚な、現代社会の一面が表現されているように感じられてなりません。それは、この楽章が唐突な下行形で突然終わることでも顕著であるように思われるのです。

第3楽章アダージョは、ベートーヴェンが遺した中でも至高の精神性の深みに到達した、愛への憧憬と渇望、瞑想と至福の音楽です。
第4楽章では、まず第3楽章までの音楽を振り返り、低弦楽器がそれらを否定します。ついに木管楽器が“歓喜の歌”の断片を示し、低弦は喜んで歓喜の主題を奏で始め、オーケストラ全体が高揚します。そして独唱と合唱が加わり、「おお友よ(O Freunde! )」と、心から心へ直接に訴えかけます。交響曲史上初めて人間の声を用いて、ベートーヴェンが聴衆に呼びかけた言葉です。

ここにおいて彼の意思は明確に、特権階級ではなく一般の全世界の人々に向けられたのです。

偉大な文学作品、あるいは聖書や経典などがそうであるように、『第九』もまた、楽譜を読めば読むほど解釈も深まります。百回以上演奏しても毎回毎回新しい発見があり、素晴らしい精神的エネルギーを私たちに与えてくれる第九という作品の内容の深さは、驚嘆するほかありません。

飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第234回定期(12/9)
“世紀転換期におけるドイツ・オーストリア音楽”によせて

飯守泰次郎

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飯守泰次郎です。東京シティ・フィル第234回定期演奏会(12/9)に向けて、リハーサルも大詰めを迎えております。

これまで東京シティ・フィルは、数年をかけてリヒャルト・シュトラウスの作品に積極的に取り組んでいます。今回はその集大成として『英雄の生涯』を取り上げることにいたしました。

R.シュトラウスの数多くの交響詩の中でも、『英雄の生涯』は最後に書かれた大曲、非常な難曲、そして名曲です。
R.シュトラウス独特のオーケストレーションの華やかさ、調性とハーモニーの複雑な展開など、あらゆるシンフォニックな作曲技術と表現力を極限まで駆使した野心的な作品といえるでしょう。
この作品を実際の演奏で成功させるのは、オーケストラにとってもひとつの大きな挑戦です。

『英雄の生涯』では、オーケストラの木管楽器、金管楽器、打楽器、そして弦楽器の各セクションに、それぞれ非常に華麗かつ最高度の技巧が要求されるソロがあります。
中でも、コンサートマスターによって演奏される、「英雄の伴侶」を示すヴァイオリン・ソロは最たるものでしょう。東京シティ・フィルのコンサート・マスター戸澤哲夫さんの演奏に、どうぞご期待ください。

この作品において非常に興味深いのは、それまでのR.シュトラウスのほとんどすべてともいえる交響詩のテーマが回顧するように再現されることです。
このことが、R.シュトラウスが自分自身を人間あるいは作曲家としての“英雄”になぞらえる意味合いを持たせていた、とよく取り沙汰されております。

曲は冒頭の「英雄の偉大」のテーマから始まって「英雄の伴侶」「英雄の戦い」などが続き、最後に「英雄の引退」というように、いくつかのテーマで構成されています。
数あるオーケストラ作品の中でも最高度の難曲でありながら、それでいて聴いているとすこしも難解なところがなく、文句なしに聴衆の皆様にお楽しみいただける音楽です。

このコンサートは“世紀転換期におけるドイツ・オーストリア音楽”と題し、『英雄の生涯』の前にも2曲をご用意し、盛りだくさんの内容をお届けします。

ベルトルト・ゴルトシュミットの『交響的シャコンヌ』は、めったに聴くことができない作品です。
特に彼の場合、ユダヤ人であったために迫害され、作品はいわゆる“退廃音楽”という烙印を捺されて、ドイツからイギリスへ亡命し、非常に地味な生涯を送りました。
ゴルトシュミットの作品は当時のアヴァンギャルト(前衛)を代表しており、R.シュトラウスとは対照的な、きわめて渋い曲です。
12音技法による音楽にも似ていますが、鋭い不協和音と協和音の両方がとりあげられています。はっきりとしたリズムはヒンデミットを思わせるところもあります。

非常に感覚的で知的な、特殊な才能の秀でた作曲家であることがよく分かり、これこそ優れた才能が社会的な事情により埋もれてしまった典型的な例ではないでしょうか。
当時の近現代の多くの作曲家が創造的な活動の努力をした中でも非常に優れた作品で、じっくり聴いていただければきっと作品の良さを感じていただけると思います。
このような曲がもっと取り上げられることを望み、今回ぜひ皆様にお聴きいただければと思います。

一方、ヴォルフの『イタリア風セレナーデ』は、まさに大変ポピュラーな曲で、現在のクラシック界では欠かすことのできない名曲の1つです。
ヴォルフは歌曲の作品は多いのですが、オーケストラのための曲はごく少なく、これも元々は弦楽四重奏曲だったものを彼自身が室内オーケストラ用に編曲したものです。
速い3拍子のスケルツォともいえる、非常に生き生きとした南国的な生命力を感じさせる音楽で、途中で情熱的に盛り上がり、また最後は軽く静かにしかも透明に終わる、というところにも大きな魅力があると思います。

これまで私は、シティ・フィルとドイツ・オーストリアのロマン派のレパートリーを長年に渡って積み重ねてきました。その成果が今回のプログラムでさらに大きく花開くことを望んでいます。

飯守泰次郎

 

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関西二期会「フィデリオ」(11/21・22)に向けて
−飯守泰次郎−

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「フィデリオ」リハーサル風景
演出の栗山昌良先生と

飯守泰次郎です。まもなく、関西二期会「フィデリオ」の公演を控え、目下、最後の追い込みにかかっているところです。

演出の栗山昌良先生とは久しぶりの共演で、とても嬉しく思っています。

私が桐朋学園を卒業し、練習ピアニストやアシスタントの経験を積みながらオペラの指揮を始めたときに、最初に出会った演出家が栗山先生でした。
初めてオペラの世界に接したのが、自然で作品の本質に忠実な栗山先生の演出だったのは、私にとって非常に幸せなことでした。

それからもう40年以上経っているだけに、今回ご一緒できる喜びもひとしおに感じられます。

歌手陣は、今回は11/21が若手中心のAキャスト、11/22がベテラン中心のBキャスト、という二組になっています。
栗山先生の演出は、一層音楽を大事に、動きをごく少なくしているので、歌手は歌うことに集中できますし、聴衆も音楽に没頭できることでしょう。
たとえば、幕開けの「フィデリオ」序曲、および1幕の終わりに演奏される序曲「レオノーレ」第3番のときには特に、聴衆がオーケストラの音楽に集中できるような工夫がされています。

「フィデリオ」リハーサル風景
大合唱団とのリハーサル
〜弁天町オークホール(関西フィル練習場)にて

また、今回は市民の合唱を増強し、幕切れの歓喜の大合唱の効果を出したいと考えています。

ピットに入る関西フィルとは、常任指揮者として取り組んできたドイツ・オペラのシリーズで、7年前にこの「フィデリオ」を演奏会形式で上演していますので、今回の舞台上演でふたたび一緒に演奏できることを大変喜ばしく思います。

練習を積めば積むほど、このベートーヴェンの「フィデリオ」というオペラの特殊性、内容の深さに改めて驚嘆すると同時に、このベートーヴェンの深みと意思を表現することがいかに難しいか、感じざるをえません。
少しでも、この偉大なオペラを、お聴きくださる皆様と共有できれば、こんなに嬉しいことはありません。
どうぞ尼崎へ、ぜひお越しください。

 
飯守泰次郎

 

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関西フィル いずみホールシリーズVol.17(11/3)
“The Discovery・飯守泰次郎と巡る奇跡の音楽史(第3回)〜
1930’s、輝けるフランス”によせて

−飯守泰次郎−

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大澤壽人 (1932/ 写真提供:大澤壽文氏)
大澤壽人 (1932/ 写真提供:大澤壽文氏)

飯守泰次郎です。関西フィルとのいずみホール“The Discovery・飯守泰次郎と巡る奇跡の音楽史”シリーズの第3回目は、昨年10月の関西フィル定期でもとりあげた「大澤壽人」の作品を軸に、1930年代のフランスの音楽をお楽しみいただきます。

関西フィルと共に大澤壽人(1907-1953) の再演に取り組み始めて、5年目になります。

大澤壽人は、20世紀前半の日本に現われたことが奇跡と思われる、きわめて先鋭的で敏感な才能を持った作曲家です。

特に、1930年代に彼が作曲した一連の作品は、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本が融合しつつ、当時のモダニズムという現代的な雰囲気を色濃く感じさせます。

彼は豊かな才能に恵まれながら、40代半ばにして早世してしまいました。

本来なら円熟を迎えて、さらに圧倒的な才能が開花したはずだと思うと大変残念でなりません。

今回は関西フィルとの大澤作品再演の取り組みの5曲目として、ピアノ協奏曲第2番を取り上げます。

関西フィルとのリハーサル
リハーサル風景

知的で快活で、かつ優美さをも兼ね備えた大澤壽人の作風は非常に魅力的で、この作品もフランスで初演された際、驚きを持って迎えられました。

関西フィルは、大澤壽人という作曲家の作品に5年という長い時間をかけて経験を重ねてきたことで、彼に対する理解が深まり、さらに熱が入ってきています。

ソリストには、4年前に大澤壽人のピアノ協奏曲第3番という難曲で大変素晴らしい演奏をしてくださった迫昭嘉さんをお迎えします。
迫さんは、大変優れたピアニストであると同時に指揮者としても活躍している方で、大澤作品への取り組みにも非常にやりがいを感じておられるので、非常に心得た演奏をしてくださるのです。
ソリストの迫昭嘉さんとのリハーサル
ソリストの迫昭嘉さんとのリハーサル

今回のプログラムは、大澤の師であるデュカス、大澤を評価したオネゲル、そして大澤が尊敬の念を持ち続けたラヴェルの傑作を組み合わせてお送りします。

大澤壽人を軸に、1930年代のフランスの空気をお楽しみいただけますよう願っております。

 

飯守泰次郎

 

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第3回八ヶ岳音楽祭 in Yamanashi
−飯守泰次郎−

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やまびこホールでの総練習
やまびこホールでの総練習

飯守泰次郎です。第3回八ヶ岳音楽祭 in Yamanashi (八ヶ岳音楽祭運営委員会主催、北杜市共催)で八ヶ岳に来ております。
もう明日に迫ってしまいましたが、八ヶ岳の南側にある北杜市高根町のやまびこホールで演奏会が開かれます。

この音楽祭では、3年がかりでモーツァルトの『レクイエム』に取り組んでおり、第1回に第1部を、第2回の昨年は第2部を演奏しました。
そして今年はいよいよ、全曲を通して演奏します。 合唱団は地元の高根町を中心に八ヶ岳南麓の地域のアマチュア合唱団で、プロ・アマチュアから広く募ったオーケストラとともに演奏します。

やまびこホールでの総練習

モーツァルトの『レクイエム』の前には、金管楽器奏者によるアンサンブルでK.ピルスの「ファンファーレ」とミヒャエル・ハイドンの「コーブルグ行進曲」、それからオーケストラでスメタナの交響詩「モルダウ」をお聴きいただきます。

今年の音楽祭は素晴らしい天気に恵まれて、本番の会場であるやまびこホールでの総練習も先ほど無事に終わり、明日のステージ・リハーサルと本番を残すばかりです。
みな一生懸命に力を結集し、高根町の秋の素晴らしい気候の中、満員の聴衆を迎えて、プロもアマチュアも子どもも力を合わせて音楽を創ることを、大きな喜びであると感じております。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル第232回定期演奏会(10/8)
ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」に向けて

−飯守泰次郎−

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「ミサ・ソレムニス」リハーサル風景
リハーサル風景

飯守泰次郎です。東京シティ・フィル第232回定期演奏会(10/8)では、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を演奏します。

交響曲第九番と「ミサ・ソレムニス」は、ベートーヴェン後期に並び立つ最後の大作です。
第九は、全人類・全世界へ力強く訴えかけるメッセージであり、彼の一生の哲学的思想の集大成です。
一方「ミサ・ソレムニス」は、ベートーヴェンの信仰心の集大成といえる作品です。

彼はカトリック家系に生まれ、若い頃は教会のオルガンも弾いていました。
ピアノ・ソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲という分野をまさに究めたベートーヴェンが、その一方で教会の典礼音楽の研究も怠っていなかったのです。彼は常に、宗教音楽を書きたいという願いを持っており、その願いをこの「ミサ・ソレムニス」でついに実現させたのです。

ベートーヴェンの特徴である反骨精神、勝利まで闘い抜く精神は、この作品にももちろん表れています。
第1部の「キリエ」「グロリア」「クレド」の3曲には、ベートーヴェンの驚くべき精神力の強さが現われており、圧倒されます。特に「クレド」に至っては、あたかも神に詰め寄るかのような極めて意志的な音楽です。たとえば“Amen”という歌詞がTutti(全員が演奏する)で、まるで一種の打撃のように表現されます。このような“アーメン”は他に例がありません。

「ミサ・ソレムニス」リハーサル風景
リハーサル風景

しかし、ベートーヴェンには実は違う側面があり、「ミサ・ソレムニス」第2部では音楽の傾向が変わっていくのです。
第2部では、いかにも彼らしい不屈の精神と闘い抜く気質の反面である、敬虔で深い信仰心が現れています。しかしながら、彼の晩年の作品は、神への感謝にもとづく肯定的な音楽だけではなくなってゆきます。
彼自身の健康にかげりがみえ、甥のカールとの確執、経済的困窮、自殺未遂…そして、第九あるいは「ミサ・ソレムニス」第1部では外へ向けられていた彼の強いエネルギーは、むしろ内面に向けられるようになります。

したがって第2部の「サンクトゥス」も、本来であればトランペットが輝かしく鳴って高らかに演奏されるような部分であるのに、ベートーヴェンの場合は低音から不気味に始まるのです。“ホザンナ!”でいったん元気を取り戻しますが、長続きはしません。
さらに「アニュス・デイ」は、“神の小羊”という意味のとおり通常は抒情的な音楽ですが、ベートーヴェンの場合はトランペットと打楽器まで動員した最強音で神に呼びかけるのです。
このベートーヴェンの呼びかけは、キリストに対する絶望的な呼びかけであるように、私には感じられてならないのです。

そして“pacem”(平和)と歌う部分は、ベートーヴェンはパストラーレ風(田園的)な音楽を用い、すべてが内面に向かっていくように終わるのです。
このパストラーレ的な傾向は、交響曲第6番(「田園」)と同じであり、彼はそのころからこの部分を着想していたのではないか、とこれは私の勝手な想像です。

「ミサ・ソレムニス」は、第九のような単刀直入な簡潔さがない代わり、ベートーヴェンの一生の心のすべてが入っている作品なのです。
したがって非常に複雑で、たくさんのテーマがあり、長大なフーガからコラールまで、この作品で示されている彼の表現力、構成力は大変見事です。

ソリストと
ソリストと〜左より:ソプラノ大村博美さん、アルト池田香織さん、
テノール福井敬さん、バス小鉄和広さん

ソリストのみの楽曲がなく常に合唱が登場するのも特徴であり、当時は前代未聞の長さであったこの作品では、ソリストも合唱も第九の数倍歌い続けることになります。
合唱の最高音も第九よりさらに1度高く、しかもその音を長くのばしていなければならないなど、技術的な難しさは比較しがたいほどです。


シティ・フィル・コーアとも何度もリハーサルを重ねて
シティ・フィル・コーアとも何度もリハーサルを重ねて

第九は私もおそらく100回以上指揮してきましたが、「ミサ・ソレムニス」は一生で多くても10回演奏できるかどうかでしょう。

この偉大な作品を、長く共にある東京シティ・フィルと、やはり私と一緒に時間を積み重ねて大きく成長した東京シティ・フィル・コーアと、今こそ演奏できる、と考えて選びました。非常に大きなチャンスであり、素晴らしい公演になると確信しています。ぜひ、オペラシティでお会いしましょう。

 

飯守泰次郎

 
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