メッセージ:2008年7月〜9月
     

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東京シティ・フィル オーケストラル・オペラVII
『トリスタンとイゾルデ』公演を終えて〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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通し稽古(第2幕)
通し稽古(第2幕)
 

皆様の応援に支えられ、『トリスタンとイゾルデ』の公演を終えることができました。ホームページをご覧くださっている皆様、改めて御礼を申し上げます。

これほど特別な作品ともなると、一生に何度演奏できるかわからないものです。東京シティ・フィルと積み上げてきたチームワークと、歌手の方々と一緒に取り組んできたことが成熟してきて、ついにこの作品を上演できたことを心から感謝しております。そして、日本人か外国人かといった国境があるわけではない、重要なことはやはり音楽の内容そのものなのだ、と改めて思う次第です。

ワーグナーが、一生をかけて追求し、すべての作品に共通しているのが、男女の愛の問題であり、そして終末と救済の問題です。
中でも『トリスタンとイゾルデ』は、男女の愛の問題に非常に的を絞った作品であるため、ロマンティックなラヴ・ストーリーとして受け取られることも少なくなく、それもまた一つの見方といえるでしょう。

『トリスタンとイゾルデ』においてワーグナーが行ったことは、音楽的にも文学的にも、“愛”というテーマについての史上まれにみる大きな問題提起です。恋愛至上主義と片付けることは到底できない、“愛”をめぐる深い思想、哲学、ひいては世界観を問う作品なのです。作曲当時のワーグナーの思想背景にあったといわれるショーペンハウアーの厭世哲学、キリスト教的な死による贖罪、さらには政治的な問題など、さまざまなことを読み取ることが可能であり、極言すればこの作品にはすべての問いが隠されているとさえいえるかもしれません。

経済、技術、すべてが著しく発展を遂げたこの現代社会にあって、『トリスタンとイゾルデ』の核心をなす男女の愛の問題は、古めかしく感じられるかもしれません。しかし、そこにひとつの非常な危機が隠されているように思われるのです。いま、“愛”の問題は、実はいっそう大きな問いとして浮き彫りになっているのではないでしょうか。
ワーグナーがこの作品で問いかけたことは、この現代においても決して解決されるどころか、ますます強く私たちに迫っているのです。
 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより10〜ソリスト編〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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歌手陣と
歌手陣と

いよいよ『トリスタンとイゾルデ』の本番を迎えるにあたり、物語のなかで特に重要な5つの役とともに歌手の方々をご紹介しましょう。

トリスタン役の成田勝美さんは、これまでの東京シティ・フィルのオーケストラル・オペラのシリーズでも特に『ワルキューレ』のジークムント役、『ジークフリート』『神々の黄昏』のジークフリート役という大変困難な役を歌ってくださいました。
さらに今回のトリスタンという役は、古今のすべてのテノールの役柄の中でも最も困難な要求がされる役です。
成田さんは、私が日本で一番信頼できるヘルデン・テノール(英雄的な役を歌うのに求められる声質)なのです。しかもリリックな役柄も歌える、ヨーロッパの歌手でいえばルネ・コロのようなタイプで、声の使い方をよく知っている大変優れた歌い手です。日本におけるワーグナー上演で欠くべからざる存在です。

イゾルデという役は、非常に高貴な気品をそなえた王女であり、それだけでなく内面に激しい何かを秘めている、大変複雑な役柄です。
日本でこの役をお願いできるドラマチック・ソプラノといえば、やはり緑川まりさんです。彼女も、このオーケストラル・オペラのシリーズで、『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』のブリュンヒルデ役という至難の役柄を歌い通してくださり、他にもさまざまな作品で数多く共演しています。
私にとってなくてはならないソプラノで、豊かな表現力と、ステージでの圧倒的な存在感をそなえた方です。

小鉄和広さんは、つい半年ほど前の二期会『ワルキューレ』のフンディング役でご一緒しました。
日本人には珍しいドラマティック・バスの声を聴かせるかたで、マルケ王という高潔な存在を非常に良く表現してくださいます。

島村武男さんもやはり、オーケストラル・オペラに必ずといってよいほど出演いただいています。
毎回見事な悪役ぶりを発揮される方ですが、今回は別の側面を見せ、忠実な従僕クルヴェナールの温かい人柄を、素晴らしく表現してくださいます。

歌手のみなさん
右から 緑川まりさん(イゾルデ)、
島村武男さん(クルヴェナール)、福原寿美枝さん(ブランゲーネ)

ブランゲーネ役は、イゾルデの侍女として、常に主人に気を配り補佐しながら、時に慰め時に戒めるという、非常に複雑で難しい役どころです。しかも舞台に出たり入ったりする回数が多い重要な役です。
福原寿美枝さんとは、東京で共演するのはこれが初めてになりますが、関西ではすでに何度も重要な役を歌っていただいており、私が非常に信頼しているメゾソプラノです。

以前は日本人だけの上演は到底不可能と言われていたこの作品を、これまで数々の舞台を共にしてきた信頼できる歌手陣と全曲上演することは、私が心に長く抱いていた願いなのです。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより9
〜副指揮者編〜〜
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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副指揮者のみなさん
優秀な副指揮者陣と

『トリスタンとイゾルデ』は4時間を要する長大な音楽です。一人一人の歌手が歌う時間も極めて長く、長いリハーサルの中で何度も曲を止めて直しをしていくにも、時間はごく限られています。

そのために、指揮者を補佐するアシスタントの人たちの役割は非常に重要です。

練習中、問題のある箇所があれば、指揮をしながらアシスタントにどんどんそれらの場所を伝え、音楽はできるだけ止めないようにします。休憩時間にまとめて打ち合わせをし、私の意図を汲んでアシスタントが歌手やオーケストラに指示を伝えます。

また、指揮台と客席では聴こえる音のバランスが異なりますので、客席で聴いて必要な調整を提案することもアシスタントの特に重大な役割です。
歌手の疲れ方も人によって違うので、アシスタントたちがそれぞれの歌手の様子をきめ細かく見守り、私といつも一緒に話し合いを重ねます。

さらに時にはピアニストを務め、ステージ裏で演奏する場面できっかけを出すなど、指揮者一人では到底不可能で、何人ものアシスタントが必要になります。
彼らは表面で目立つことは一切ありませんが、要ともいえる重要な存在なのです。

プロンプターを務める城谷さんは、ステージのオーケストラの後ろに入り、歌手に対して主に歌詞のきっかけを示し、時には動きのきっかけも出して歌手を支える、非常に大事な役目です。歌手一人一人の譜読み、言葉、暗譜を、私の意思を尊重して指導してきた、私も歌手も絶大な信頼を寄せる存在です。
四野見さんは合唱指揮を務める一方で、このプロジェクトをいつも見渡し、全体の練習のスケジュールを組み立てる役目を務めています。

私も20〜30年くらい前、長い間バイロイト音楽祭でアシスタントをやったので、彼らにどう動いてもらえばよいかがよくわかります。今回の『トリスタン』の指揮者とアシスタントのチームワークは、私がバイロイトで経験したものと基本的に同じです。

立ち稽古の様子
プロンプターを務める城谷正博さん

指揮者という仕事は想像以上にやることが多く、また大変に入り組んだ仕事です。アシスタントが手分けをするにもコミュニケーションが非常に重要です。私もカラヤンやホルスト・シュタインをはじめ数多くのアシスタントを経験してきました。

指揮者は、いろいろなプロジェクトの経験を積み重ねて、成長していくのです。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより8
〜立ち稽古編〜
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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立ち稽古の様子

東京シティ・フィルの“オーケストラル・オペラ”は、いわゆる演奏会形式(コンチェルタンテ)からもう少し踏み込んで、お客様に場面の状況が少しでもよりよくおわかりいただけるように、歌手に動きを入れた独自の上演形式です。

といっても象徴的な動きにとどめ、音楽的な内容を中心としています。私たちの場合はオーケストラがステージ上にいて、その奥に設けた一段高いステージで歌手が歌います。

歌手に要求される動きはあまり多くはないのですが、これがなかなか難しいことなのです。思い切って動きをリアルにすれば、劇的にもまた歌手としてもむしろ表現がしやすいという面があります。

特にこの『トリスタンとイゾルデ』の場合、物語のほとんどは人間の内面で進行しますので、抽象的象徴的な動きのみでこれを表現することは、ふつうのドラマを演劇的に表現する立ち稽古とは異なった非常な難しさがあります。

オペラにおいて、音楽と言葉と動きを一致させることがいかに大切であるかはよく議論されているとおりです。 特にワーグナーにおいては、音楽と言葉が有機的に立体的に非常に見事に一致しているので、そこに加わる動きも、控えめではあっても的を射た動きでなければなりません。

立ち稽古の様子
舞台監督の小栗哲家さん、緑川まりさん(イゾルデ)と

それだけに、音楽と言葉と動きを一致させることに成功すれば、素晴らしい効果を生むことができます。非常に集中力を必要とする立ち稽古です。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより7
〜歌手・オケ合わせ編4
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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巨大なオーケストラ

音楽において、調性が人間の心に与える作用は計り知れないものがあります。

ハイドン、モーツァルトといった古典派の音楽においては、たとえばハ長調から転調するならト長調、ニ長調、ヘ長調というように近親の調が選ばれますし、やがて元の調に戻ることにより、安定した感じがします。

これに対し、後期ロマン派になると、次第に遠い調性への転調も用いられるようになります。
中でも『トリスタンとイゾルデ』の音楽は大変頻繁に転調し、しかも非常に遠い調性への転調が多い点で際立っています。以前に「稽古場だより」でもご説明した半音階が巧みに利用され、予想外の遠い調性に頻繁に転調します。
これが、人間の揺れ動く内面を表現するのに非常に合っているのです。

さらに『トリスタンとイゾルデ』のもうひとつの顕著な特徴として、いわゆる“無限旋律”があります。
特にわかりやすい例が第1幕冒頭の前奏曲です。フレーズがきちんと終わるということがなく、息長くつながっていきます。一応、第1幕、第2幕、第3幕の最後でそれぞれようやく終止がありますが、それまでは各幕の中で完全な終止というものが決して訪れないのです。

歌手・オケ合わせ〜成田さんと緑川さん
緑川まりさん(イゾルデ)/成田勝美さん(トリスタン)

したがって、息継ぎの仕方や、重心の持って行き方、楽器間の受け渡しなどが本当に良く行われて初めて、この大変息が長くつながっていくフレーズが単なる退屈に陥らず、人間の内面の動きを表現するものとなるのです。
この作品を演奏する上で、特に重視しなければならない点です。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより6
〜歌手・オケ合わせ編3
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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成田さんと打ち合わせ
成田勝美さん(トリスタン)と打ち合わせ

歌手とオーケストラの合わせ練習では、やはりバランスの調整が大きなポイントとなります。

ワーグナーが『トリスタンとイゾルデ』で想定していたオーケストラの音量は、オペラハウスのオーケストラ・ピットに入っている状態でした。バイロイトに至ってはそのピットに蓋がされていて、客席に直接届くのは歌手の声だけで、オーケストラの直接音は届きません。

これに対し、東京シティ・フィルの”オーケストラル・オペラ“では、あえてオーケストラを歌手と同じ舞台に乗せています。歌手の声がお客様に届くためには、オーケストラのダイナミクスは、スコア通りではなく、それなりの調整をすることが不可欠になります。

それだけではなく、『トリスタンとイゾルデ』にはsub p(“スビト・ピアノ”〜すぐに弱く、の意)という記号が大変多く出てきます。これほどsub p が多く指定されている作品は、他にないのではないでしょうか。
音が増幅して行って、決定的な瞬間というときに、突然p(“ピアノ”〜弱く)にすることが求められる部分が頻繁に出てきます。盛り上がって盛り上がって、最強音が期待される瞬間に柔らかく弱い音で解決するのですから、肩透かしのような効果があります。 これが内面性の表現として非常に効果的に、頻繁に使われています。

歌手・オケ合わせの様子3

これが何度も執拗に出てくると、そのたびに巨大なオーケストラがpにすることはたしかに大変なのですが、ワーグナーはこの指定を非常に重視しており、ぜひとも1つの例外もなく実現できるよう、繰り返しリハーサルしています。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより5〜歌手・オケ合わせ編2
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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飯守泰次郎

前回“トリスタン和音”のことを書きましたが、この和音が解決するとき、半音階が非常に頻繁に使用されています。この半音は、その調性の「主音」や「属音」と呼ばれる大事な音に向かって解決していく音で、専門的には「導音」とよばれる半音です。

導音は、大事な音に向かって解決したいという欲求を伴うので、これをうまく表現することは、官能性や陶酔感、あるいは内面の心理的な不安感などの表現として非常にふさわしい手法だといえます。
特に『トリスタンとイゾルデ』では、上行する半音と下行する半音が同時に、あるいは互い違いに組み合わされるなど、非常に込み入ったやりかたで駆使され、まさに人間の精神の深い内面が見事に表現されています。

歌手・オケ合わせの様子2

しかもその半音の音の幅の取り方が、和音の動きかたによっていつも同じではないのです。場合によってちょっと高めにしたりちょっと低めにとったりするということが必要です。

この半音の幅が、『トリスタンとイゾルデ』の官能性を表現する要なので、私たちはこの点にも特に神経を配ってリハーサルをしております。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより4〜歌手・オケ合わせ編1
〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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歌手・オケ合わせの様子1

『トリスタンとイゾルデ』の音楽は、第1幕の前奏曲にそのすべてが語られています。なかでも冒頭部分で木管が演奏するいわゆる“トリスタン和音”は、まさにこの作品を決定づけています。

この“トリスタン和音”は、作品全体にわたり想像以上に頻繁に現れます。数えたことはありませんが、少なくとも百回以上は使われているのではないでしょうか。
しかも、そのままの形で使われているとは限らず、楽典の用語で「密集」「解離」などの形に転換されて出てきたり、なかには和音をひとつひとつの音にばらしてメロディのようになっていたり、しばしば演奏者でさえ気づかないほど、たくさんの“トリスタン和音”が隠されているのです。

“トリスタン和音”は、和音としては不協和音に属し、協和音へ解決しようとするエネルギーを持っており、まさにここに『トリスタンとイゾルデ』という作品の根源的な力が隠されています。

飯守泰次郎

一般に、協和音を正しく演奏することはそれほど難しくありませんが、不協和音を本当にきちんとハモらせるということは難しいことです。 まして“トリスタン和音”ともなると、合っているか合っていないかをすぐに聞き取るのも大変難しいのです。

それだけに、本当に“トリスタン和音”が正しく演奏された時には、他にない独特の快感が生まれ、協和音への解決に向かう強いエネルギーを発散するのです。

この独特のハーモニーこそ、『トリスタンとイゾルデ』の核心です。このハーモニーが出てくるたびに最高の響きで表現できるよう、オーケストラと私は努力を重ねております。

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより3〜歌稽古・続編〜2008年9月

−飯守泰次郎−

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歌稽古の様子
歌稽古の様子

『トリスタンとイゾルデ』の歌手たちとのリハーサルも大詰めを迎えております。

モーツァルト、あるいはヴェルディやプッチーニによくある重唱は、この作品にはあまりありません。二重唱の部分もソロ的な要素が強いので、まず一人一人がしっかりと歌えていなければなりません。
そのうえで、二重唱といっても本当に二人が一緒に歌うことは少なく、会話のかたちで交互に歌う形が多いので、自分だけでなく相手役の歌詞もよくわかっていることが求められます。それだけでなく、相手役の心理状態まで深く理解していないと会話にならないので、相手を非常に良く聴くことが大切になります。自分が歌っていないときも、自分に関わることですから、相手の歌によほど良く耳を傾けなければなりません。

大藤玲子さんと
大藤玲子さんと

この段階になってくると、練習の伴奏をするピアニストは、まさにオーケストラの表現を一人で担うわけで、大変に困難な仕事です。
大藤玲子さんは、この分野の日本での第一人者であり、これまでの国内でのワーグナー上演のほとんどは、彼女の存在があってこそ成り立っているといっても過言ではありません。私も絶大の信頼を置いているのです。

 

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより・番外編
〜 クロチャンが家にやって来た 〜
−飯守泰次郎−

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猫の写真その1

このところ、残暑の中で『トリスタンとイゾルデ』にどっぷり浸かり、緊張の毎日が続いておりますが、今日はちょっとリラックスして、親馬鹿ならぬ猫馬鹿のお話をさせていただきます。

私は子供のころからずっと猫と一緒に育ったので、実は大変な猫好きです。もう以前から、また猫を飼いたいと思ってはいましたが、指揮者の仕事は家にいられる時間が本当に少ないので、猫がかわいそうかと思ってすっかり諦めていました。

家の近くの青山霊園の中は、都心にしては非常に広く緑が多く静かで、蝶々や鳥が飛び回り、季節によっては蝉や秋虫が鳴き、本当に自然に恵まれていて、よく散歩しています。ここには本当にたくさんの野良猫が住み着いています。いつの頃からか、1匹のかなり年老いた人なつこい黒猫と親しくなりました。勝手に「クロチャン」という名前をつけて、東京に戻って散歩する時間があるときには、必ず姿をさがしました。

そのクロチャンがしばらくの間、姿を見せなくなり、大変心配しました。やがてまたふっと現われたのですが、毛並みが荒れて不機嫌で、このままにしたらとても生きられそうにないくらい弱っていたのです。とにかく病院に連れて行くためにカゴに入れても、全くの無抵抗。病院では腎不全との診断、そして2週間の入院。専用の食事をやる必要があると医者に言われました。

そんなこんなで、思いがけず猫を保護することになりました。昔は飼い猫だったのか、もともと人なつこい性分なのか、とにかくクロチャンは大変な甘えん坊です。それでいて、人生をすべてわかっているような目をしている不思議な猫です。撫でてやるとじっとその人の目を見つめるのです。目で語る猫なのでしょうか。

猫の写真その2

こちらはやらなければならないことが山ほどあって、猫にうつつを抜かしている場合ではないのに、どうも時間をとられてしまいます。といいながら、外にいてもつい、クロチャンはどうしているだろうか、と気になってしまいます。

夜遅く帰宅すると、年のせいかノシノシとゆっくり歩いてきて、嬉しそうに迎えてくれるのを見ると、1日の疲れをすっかり忘れてしまうのです!

 

 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより2〜オーケストラ練習

−飯守泰次郎−

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東京シティ・フィルとの“オーケストラル・オペラ”も、2000年から今まで、ワーグナーの6つの作品を演奏してきた積み重ねを経て、ついに『トリスタンとイゾルデ』をとりあげる時が熟した、という気がしております。

これまでのプロジェクトでも私たちは、歌手とオーケストラとの合わせ練習の前に、オーケストラだけの練習にも十分な時間をかけてきました。
ワーグナーの楽劇では、歌詞以上にオーケストラが雄弁に、登場人物の心理や物語の背景などを語ります。特に『トリスタンとイゾルデ』は人間の内面そのものを扱う音楽です。さまざまな愛の局面を象徴するいくつものモティーフを、オーケストラの一人一人の奏者がわかって演奏して初めて、聴衆にワーグナーの音楽の内容を伝えることができるのです。
そこで今回は、各幕のオーケストラ練習の最初に、ピアノを使って主要なモティーフについて簡単に解説する時間をとりました。

ワーグナーの楽劇は、ヨーロッパでは必ずしも大都市の大劇場で上演されるとは限りません。いろいろな都市で、さまざまな規模の劇場で、くり返し上演されてきた蓄積があります。
そもそもワーグナーの聖地といわれるバイロイトも、今でこそ著名人が夏に集まる一種のリゾートとして有名ですが、祝祭劇場が建設された当時は、文化や経済の中心からは離れた寒村でした。ワーグナーは、聴衆が先入観にとらわれないで自分の音楽に集中するように、あえてこのような場所を選んだのです。

今回私たちが『トリスタンとイゾルデ』を上演するティアラこうとうは、いわゆる都心の大ホールではないものの、響きは大変素晴らしく優れています。江東区のご理解とご協力を得て、リハーサルの段階から大ホールを使わせていただいて感じることは、ワーグナーの巨大な響きでも飽和状態にならず、ワーグナーの音楽のさまざまな要素を表現できるホールだということです。さらに東京シティ・フィルにとっては、「ティアラ定期」の本拠地であり、他にも日頃から数多くのリハーサルを重ねているホールなので、これまでの経験を生かせる期待と喜びがあります。

このティアラこうとうで『トリスタンとイゾルデ』を上演することは、私たちのワーグナーへの取り組みにおいて、新たな意味での刺激を与えてくれるのです。
 
飯守泰次郎

 

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東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』(9/21・23)に向けて
『トリスタンとイゾルデ』稽古場だより〜歌稽古・2008年8月

−飯守泰次郎−

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歌稽古の様子
左:緑川まりさん(イゾルデ)
右:福原寿美枝さん(ブランゲーネ)

東京シティ・フィルとの“オーケストラル・オペラ”『トリスタンとイゾルデ』公演(9/21・23)に向け、連日のように歌稽古に精を出しております。

私は、オーケストラと練習するよりはるかに長い、10倍以上の長い時間をかけて、歌手との稽古をします。それぞれの役の歌手と一緒に、長い作品の一場面を取り出しては、歌詞の音楽の関係、発音、込められた心情などを深く掘り下げていきます。オーケストラの部分は、練習ピアニストが私の指揮を見てピアノで伴奏します。私は、この音楽稽古の段階を非常に重視しています。

東京シティ・フィルの“オーケストラル・オペラ”は、一般的な舞台上演ではない独自の形式です。舞台装置や舞台上を歌手があちこち動き回ったりする仕掛けがないぶん、まさに私たちの演奏の集中度によって作品の内容をお伝えしなければ、お客様にご納得いただけません。私たちは、通常の国内のいわゆる演奏会形式のオペラ公演に比べると非常に多い、本格舞台公演にも匹敵する時間のリハーサルを行ってまいります。


歌稽古の様子2
成田勝美さん(トリスタン)

ホームページをご覧の皆様、ぜひ9月の本番にお越しください。この暑い夏の稽古の成果をお楽しみいただけますよう、願っております。

 

 
飯守泰次郎

 

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日本ワーグナー協会例会にて講演 〜2008年7月〜
−飯守泰次郎−

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講演の様子
自由学園明日館講堂にて
左は聞き手の舩木篤也氏

みなさんこんにちは、飯守泰次郎です。コンサートではなくレクチャーを行うのは、私としてはどちらかというと珍しいことですが、さる7月26日に日本ワーグナー協会からお招きを受けて講演をしてまいりました。その様子をみなさまにご報告します。

そもそも、ワーグナー協会の方々に『トリスタンとイゾルデ』のレクチャーをするとは、いま考えてみても本当に無謀なことをお引き受けしてしまったものです。これは、きたる9月に東京シティ・フィル公演『トリスタンとイゾルデ』が控えていることもあり、ぜひこの作品を、とのご依頼でしたが、私としてはあれほど緊張したレクチャーは初めてでした。ワーグナー協会でワーグナーの説明をするほど恐ろしいことがあるでしょうか。しかも、ワーグナーのあの音楽をピアノで弾くには準備の時間も満足に取れず、大変心許ない思いでした。

ところが、いざレクチャーを始めると、100名をはるかに超える多くの会員の方々が、じつに肯定的で積極的に聞いてくださり、案じたよりもずっと話しやすかったのは幸せでした。そうなるとやはり、お伝えしたいことがどんどん出てきます。私のレクチャーの内容に耳を傾けてくださる会員の皆さんの集中力は、大変素晴らしいものでした。そして2時間があっというまに過ぎたことに、自分でも驚きました。

4時間の楽劇の内容をお伝えするには少し時間が足りない気もしましたが、それでもかなりの会員の皆さんに私の申し上げたかったことが積極的に受け入れられたという実感があり、大変嬉しく思います。

 
飯守泰次郎


 
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